2008年 06月 25日
津和野住民に告ぐ |
自分の生命・財産は自分で守れというのか
図々しい無神経な奴らが多過ぎる
(地球図は産総研が発表しているもので、長沢・津和野地区は35~50ppm、周辺地区は30~35ppmを表記している)
今回の一連の事件を振り返って思うことは、「無神経な奴らが多過ぎる」ということだ。
無神経な行為は二つある。一つは砒素による健康被害が実際に発生している地域への配慮の無さである。もう一つは、ナリフリ構わぬ「利権集団」によって税金が浪費されることに対する倫理観の無さである。
こうした無神経で悪質な連中から自分の生命・財産を守るためには、自分で立ち上がる以外にない。
まだ風化していない笹ケ谷鉱山の歴史
日本には、慢性砒素中毒症患者が多発しているとして、環境庁によって公害病の指定を受けた地域が2か所ある。宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山周辺と島根県津和野町の旧笹ケ谷鉱山周辺である。いずれの鉱山も、硫砒鉄鉱を原料にして亜砒酸を製造した歴史をもっている。
公害の影響による健康被害者の迅速かつ公正な保護を図るため「公害健康被害補償法」(以下「補償法」という。)が昭和49年9月1日から施行されているが、これは上記の呂久鉱山と笹ケ谷鉱山の環境汚染が直接の引き金となって制定されたものだ。
若い人たちは知らないかもしれないが、津和野には「笹ケ谷鉱山」があった。主に銅、亜鉛等の鉱山だったが、現在は既に廃鉱となっている。
しかし、この鉱山は銅や亜鉛等を産出した鉱山としてより、殺鼠剤(ネズミの駆除剤)の原料となる砒素(ヒ素)を副産物として産出したため、江戸時代には、むしろ砒素を主たる産物とするようになった。
写真は操業中の旧「笹ケ谷鉱山」 かつては銅や亜鉛等を産出した有数な鉱山だった。
写真は現在廃鉱となっている「笹ケ谷鉱山」 コンクリート壁で溶出水が流失しないようになっている。
【石見銀山猫いらず】
「よく時代劇などで、「石見銀山猫いらず」と言って売り歩く行商人が出ることがある。これが笹ケ谷鉱山から産出された砒素を使ったものである。
江戸時代に、砒素を用いた殺鼠剤を商品化する際、当時、国内屈指の大銀山として知られていた「石見銀山」の名を勝手に使って、「石見銀山猫いらず」として売っていたのだ。しかし、今は世界遺産になった「石見銀山」から砒素は産出しない。今なら産地詐称で裁判になっていたかもしれないが、当時はなんのお構いもなかったようだ。」
こんな背景があったことを今時の島根県の職員は知らないから、無自覚に「闇の利権」の片棒を担ぐような無神経なことをするのだろう。もちろん、「利権屋」どもは、欲に目が眩んでいるからこんなことが目に入るはずもない。
笹ヶ谷における慢性砒素中毒症
沿 革
島根県笹ヶ谷地区における慢性砒素中毒症に関する経緯は次のとおりである。
45年 笹ヶ谷鉱山周辺における砒素の環境汚染を島根県が確認
47年7月~11月 住民健康調査の実施
48年8月 上記調査に基づき、慢性砒素中毒症と思われる者7人、疑いのある者5人、要経過観察者19人が認められた旨の報告
49年7月 救済法による地域指定
9月 補償法による地域指定(救済法から引継ぎ)
現 状
49年7月の地域指定以降救済法及び補償法によって認定された者は、61年12月末現在21人(うち死亡者14人)となっている。
このように、砒素による健康被害は、石西地区に住む高齢の人なら誰でも鮮明に覚えていることなのだ。
決して、遠い他所の話でもなければ遠い昔の話でもないのである。
実際のところ、津和野のトンネル工事の残土に含まれる砒素が、住民にどの程度の健康被害を与えるのかは解らない人たちも多いだろう。しかし、こうしたトラウマを持つ人たちのいる所で、利権のためならなりふり構わぬ細工をしかける奴らを見逃すことは許されない。
利権のカラクリ
砒素の処理方法は入札者が決め、それらを島根県が評価して点数をつけて決定する入札方法が採用されていた。
表面的には公正・公平な入札方法を装いながら、今回落札者となった中核の共同企業体(JV)の中心である大畑建設の子会社である益田興産の三星砕石場で洗浄する方法しか高得点は得られない仕組みになっていた。要するに極めて悪質な「官製談合」である。
しかも、三星地区の住民には事前説明もなく、高津川漁協の同意も得ないまま勝手に仕組んだものである。(未だに同意は得られてない。)
また、島根県が砒素処理の指定先とした三星採石場の洗浄施設の安全性は立証されず、同社が30年間も地区住民の生活道路にかかる橋を利用し、重量オーバーのダンプを走らせて私腹を肥やしていた事実も発覚した。
こうした連中が、何のお咎めもなく、終には口封じに「殺人未遂事件」まで引き起こしている。これほど納税者である住民を蔑ろにした話もない。
これが「トカゲの尻尾切り」で終わるようなら、利権にまつわる「疑惑の連鎖」はますます拡大し、県民の税金の多くが無駄になる。
最近発覚した「長沢トンネル」の官民ぐるみの砒素隠しもそうだが、このようなバッジ(政治屋)も絡んだ官製談合や不祥事の隠蔽工作のネタはいくらでもあるのだが、こうした反社会的な行為を許すわけにはいかない時代になってきた。。
石西地方の鉱山(参考資料/中国地方の鉱山より)
笹ヶ谷鉱山(現在の島根県鹿足郡津和野町)
戦国時代から銀を産出していた石見銀山(同県大田市大森町)と共に戦略上から幕府直轄領(いわゆる天領)とされ、大森奉行所(のち代官所に格下げ)の支配下とされたので無関係ではないが、砒素の産地が何処であるか(正しくは前者)については混乱も見られる。元禄期には銀山の産出が減る一方で、その後も笹ヶ谷からの殺鼠剤販売が続き名前が一人歩きするようになった為、と考えられている。
笹ヶ谷鉱山
笹ヶ谷鉱山(ささがだにこうざん)は、かつて島根県(旧石見国)津和野町にあった銅、亜鉛等の鉱山で、現在は既に廃鉱となっている。
当初は銅を主たる産物としていたが、銅や亜鉛などの金属とともに、殺鼠剤(ネズミの駆除剤)の原料となる砒素(ヒ素)を副産物として産出したため、江戸時代には、むしろ砒素を主たる産物とするようになった。
江戸時代にヒ素を用いた殺鼠剤を商品化する際、当時、国内屈指の大銀山として知られていた「石見銀山(大森銀山)」の名を冠して、「石見銀山猫いらず」として売られたが、石見銀山では砒素は産出しない。
江戸時代に入り、石見銀山の産銀量が衰えるに伴い、「石見銀山」の名前は銀山としてよりも、殺鼠剤としての知名度を得るとともに、石見銀山が砒素の鉱山であるかような誤解を招いた。
現在でも旧笹ヶ谷鉱山周辺の残土や旧坑道からの排水には砒素が含まれており、コンクリート製の堰堤が築かれるなど、大規模な鉱害防止対策が施されている。
都茂鉱山の鉛・亜鉛鉱(島根県益田市美都町山本葛篭)
現地の案内板によると、都茂鉱山は平安時代より銅鉱山として知られ、長年にわたり採掘された。最盛期は戦後で、約200人の人が働き、ここで大まかに選鉱された銅、タングステン、金銀鉱などが各地に送られ精錬されたようだ。
都茂鉱山へは津和野方面からは、美都町を目指して山越えになる。 美都町葛篭の集落をすぎて深折すなわち野々峠方面に山道を登る。
山中にも関わらず道幅は1.5車線のしっかりした道で、意外と車が行き来する。 集落を抜けると、「中外鉱業都茂管理事務所」の大きな柱が立っている。次は、選鉱場跡を示す案内板が現れる。対岸の雑草が茂っているあたりに大がかりな選鉱場があった模様。さらに上流にのぼっていくと道路脇に手製の道路案内図が立っている。そこに車を止めて、脇道に入っていく。小道を2,3分たどると鉄枠の建物に到着。中には数個のモーターが置いてある。隣に「丸山坑」と書かれた坑口がある。
この坑口の前あたりのズリで広場になったところを表面採集した。曇りがちとはいえ、熱気のこもる山中、とても暑い。石英を含んだ石を中心に探し、錆っぽいものをハンマーでたたいた。一撃目は新鮮で劈開のはっきりした方鉛鉱と飴色の閃亜鉛鉱、それに黄金色の黄銅鉱が混ざりあっているのに出会った。
次に見つけた石は、輝水鉛鉱が小さく散らばったもの、そして真鍮色から赤褐色かたまり状の磁硫鉄鉱。
あまり期待はしていなかっただけに、広場を少し歩いただけでこれだけ収穫があり、とても来た甲斐があった。
豊稼鉱山 「所在地]島根県鹿足郡津和野町大字豊稼
昭和中頃までアンチモン,マンガンを採掘していた鉱山である。近くには,古くからの有名な笹ヶ谷鉱山があり,その支山として稼行していたらしい。当地は,鉱害対策工事が実施されており,南北に走る道路から植林地を少し入った所にわずかに施設跡が見られるばかりである。その施設付近等に転石があり,転石には閃亜鉛鉱,黄鉄鉱,硫砒鉄鉱,ベルチェ鉱,菱マンガン鉱,カリオピライトが見られる。また,ベズブ石,灰鉄輝石などのスカルン鉱物もあり,中には菱マンガン鉱中に微晶のベルチェ鉱が散らばったちょっと変わった組み合わせの鉱石も見られる。最近では,ベルチェ鉱の鉄がマンガンに置き換わったクレル鉱という鉱物が発見されている。鉱害対策工事が実施されているので,植林地を掘り返す等の行為は絶対に行わないこと。
青原鉱山
「所在地]島根県鹿足郡津和野町冨田
発見の詳細は不明であるが,マンガンを採掘していた鉱山である。資料では大正5年から大正9年まで稼行して休山したという記録がある。また,地元の人からの聞き取りでは昭和12年から採掘が進められ7年間稼行し,昭和20年に休山したということであった。資料的にもこの時期に稼行したという全く同様の記載が見られ,かなり正確であると思われる。鉱山名については青原鉱山としているが正確には青原第一鉱山の方が正しいかもしれない。ズリが2か所にあり,北側は道が二手に分かれる付近の谷沿いにあり,南側は民家の向かいにあり,崖地になっている。北側は田のほとりを歩いて沢沿いに進むと閉塞した坑口があり,その前にわずかながらズリが見られる。ズリ中には二酸化マンガン鉱,菱マンガン鉱,テフロ石,カリオピライトなどが見られた。聞き取りでは,いわゆる炭マンで質が良かったらしい。資料的には品位40%~50%程度となっている。かつてはこの坑口の上方の山の斜面にマンガン鉱石が多く転がっていたそうだ。一方,南側のズリは崖地で崩れかかっており,わずかに二酸化マンガン鉱が見られたのみであった。ちなみにどちらも民家に近く,ズリのある土地の所有者かどうかは不明であるが,田のほとりを通ったりするので話をして入らせていただくこと。また田のほとりの道は分かりづらいため稲のある時期は避けること。なお,島根県内には旧金城町に同名の鉱山跡があり,やはりマンガンを採掘していたそうだが,こちらの方は品質があまり良くなかったようだ。
高城鉱山[所在地]島根県益田市神田町
昭和中頃にアンチモンを採掘していた鉱山である。別名,三星鉱山(みぼしこうざん)ともいった。また鉱物標本を紹介している場で見られる北島鉱山という鉱山もこの鉱山のことか?坑口は数個確認できたがほとんどは危険防止のためふさがれており,ふさがれていない坑口も見られたがつぶれかかっていた。ズリはあまり多く見られないが坑口附近と坑口の前に埋まっているものが少し見られる。そのズリ中には輝安鉱やベルチェ鉱が見られた。小さいながらも輝安鉱かベルチェ鉱のどちらかは不明であるが結晶群も見られた。当地はマムシが非常に多いところらしく夏には藪になり,近くには小さいながらも水の流れもあることから蛇には注意した方がよさそうだ。
後溢鉱山(うしろえきこうざん)[所在地]島根県益田市向横田町
昭和中頃までマンガンを採掘していた鉱山である。集落を南北に走る道路から少し上がった所に民家があり,その民家の傍らから山に向かって登る小道があり,それを登って行き止まりまで行くと鉱山がある。鉱山跡にはわずかにズリが見られ,そのズリはマンガン鉱山でよく見られるようにほとんどが黒い石である。民家の人の話によると主に炭マンを採掘していたようだ。ズリ中にはアレガニー石が見られる。園石のようにも見えるが,あまり変成作用を受けていないようなので,ほぼアレガニー石であろう。この鉱山は先の民家の人の所有地であり,坑口の前には飲料用の井戸を所有しているため,立ち入る時にはその人に必ず許可をいただき,採集の際にも絶対に坑口には入らず,ズリを掘り返すことがないようにしなければならない。
終わりに
現代は輸入の増加で衰退してきたが、島根県西部には多くの鉱山が存在していた。これは、島根県西部地域には、砒素を含めた重金属類等が全国平均の3倍もあるという地質的地域特性によるものだ。
これらの鉱物資源は我々の生活には欠かすことのできない有用な役割を果たしている。
しかし、これは常に安全性に留意しているから有用なのであって、欲の皮の突っ張った無知な連中の利権の道具、無能な役人の飯のタネにために利用され、地域住民の安全・安心が失われるようなことを決して許してはならない。
図々しい無神経な奴らが多過ぎる
(地球図は産総研が発表しているもので、長沢・津和野地区は35~50ppm、周辺地区は30~35ppmを表記している)
今回の一連の事件を振り返って思うことは、「無神経な奴らが多過ぎる」ということだ。
無神経な行為は二つある。一つは砒素による健康被害が実際に発生している地域への配慮の無さである。もう一つは、ナリフリ構わぬ「利権集団」によって税金が浪費されることに対する倫理観の無さである。
こうした無神経で悪質な連中から自分の生命・財産を守るためには、自分で立ち上がる以外にない。
まだ風化していない笹ケ谷鉱山の歴史
日本には、慢性砒素中毒症患者が多発しているとして、環境庁によって公害病の指定を受けた地域が2か所ある。宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山周辺と島根県津和野町の旧笹ケ谷鉱山周辺である。いずれの鉱山も、硫砒鉄鉱を原料にして亜砒酸を製造した歴史をもっている。
公害の影響による健康被害者の迅速かつ公正な保護を図るため「公害健康被害補償法」(以下「補償法」という。)が昭和49年9月1日から施行されているが、これは上記の呂久鉱山と笹ケ谷鉱山の環境汚染が直接の引き金となって制定されたものだ。
若い人たちは知らないかもしれないが、津和野には「笹ケ谷鉱山」があった。主に銅、亜鉛等の鉱山だったが、現在は既に廃鉱となっている。
しかし、この鉱山は銅や亜鉛等を産出した鉱山としてより、殺鼠剤(ネズミの駆除剤)の原料となる砒素(ヒ素)を副産物として産出したため、江戸時代には、むしろ砒素を主たる産物とするようになった。
写真は操業中の旧「笹ケ谷鉱山」 かつては銅や亜鉛等を産出した有数な鉱山だった。
写真は現在廃鉱となっている「笹ケ谷鉱山」 コンクリート壁で溶出水が流失しないようになっている。
【石見銀山猫いらず】
「よく時代劇などで、「石見銀山猫いらず」と言って売り歩く行商人が出ることがある。これが笹ケ谷鉱山から産出された砒素を使ったものである。
江戸時代に、砒素を用いた殺鼠剤を商品化する際、当時、国内屈指の大銀山として知られていた「石見銀山」の名を勝手に使って、「石見銀山猫いらず」として売っていたのだ。しかし、今は世界遺産になった「石見銀山」から砒素は産出しない。今なら産地詐称で裁判になっていたかもしれないが、当時はなんのお構いもなかったようだ。」
こんな背景があったことを今時の島根県の職員は知らないから、無自覚に「闇の利権」の片棒を担ぐような無神経なことをするのだろう。もちろん、「利権屋」どもは、欲に目が眩んでいるからこんなことが目に入るはずもない。
笹ヶ谷における慢性砒素中毒症
沿 革
島根県笹ヶ谷地区における慢性砒素中毒症に関する経緯は次のとおりである。
45年 笹ヶ谷鉱山周辺における砒素の環境汚染を島根県が確認
47年7月~11月 住民健康調査の実施
48年8月 上記調査に基づき、慢性砒素中毒症と思われる者7人、疑いのある者5人、要経過観察者19人が認められた旨の報告
49年7月 救済法による地域指定
9月 補償法による地域指定(救済法から引継ぎ)
現 状
49年7月の地域指定以降救済法及び補償法によって認定された者は、61年12月末現在21人(うち死亡者14人)となっている。
このように、砒素による健康被害は、石西地区に住む高齢の人なら誰でも鮮明に覚えていることなのだ。
決して、遠い他所の話でもなければ遠い昔の話でもないのである。
実際のところ、津和野のトンネル工事の残土に含まれる砒素が、住民にどの程度の健康被害を与えるのかは解らない人たちも多いだろう。しかし、こうしたトラウマを持つ人たちのいる所で、利権のためならなりふり構わぬ細工をしかける奴らを見逃すことは許されない。
利権のカラクリ
砒素の処理方法は入札者が決め、それらを島根県が評価して点数をつけて決定する入札方法が採用されていた。
表面的には公正・公平な入札方法を装いながら、今回落札者となった中核の共同企業体(JV)の中心である大畑建設の子会社である益田興産の三星砕石場で洗浄する方法しか高得点は得られない仕組みになっていた。要するに極めて悪質な「官製談合」である。
しかも、三星地区の住民には事前説明もなく、高津川漁協の同意も得ないまま勝手に仕組んだものである。(未だに同意は得られてない。)
また、島根県が砒素処理の指定先とした三星採石場の洗浄施設の安全性は立証されず、同社が30年間も地区住民の生活道路にかかる橋を利用し、重量オーバーのダンプを走らせて私腹を肥やしていた事実も発覚した。
こうした連中が、何のお咎めもなく、終には口封じに「殺人未遂事件」まで引き起こしている。これほど納税者である住民を蔑ろにした話もない。
これが「トカゲの尻尾切り」で終わるようなら、利権にまつわる「疑惑の連鎖」はますます拡大し、県民の税金の多くが無駄になる。
最近発覚した「長沢トンネル」の官民ぐるみの砒素隠しもそうだが、このようなバッジ(政治屋)も絡んだ官製談合や不祥事の隠蔽工作のネタはいくらでもあるのだが、こうした反社会的な行為を許すわけにはいかない時代になってきた。。
石西地方の鉱山(参考資料/中国地方の鉱山より)
笹ヶ谷鉱山(現在の島根県鹿足郡津和野町)
戦国時代から銀を産出していた石見銀山(同県大田市大森町)と共に戦略上から幕府直轄領(いわゆる天領)とされ、大森奉行所(のち代官所に格下げ)の支配下とされたので無関係ではないが、砒素の産地が何処であるか(正しくは前者)については混乱も見られる。元禄期には銀山の産出が減る一方で、その後も笹ヶ谷からの殺鼠剤販売が続き名前が一人歩きするようになった為、と考えられている。
笹ヶ谷鉱山
笹ヶ谷鉱山(ささがだにこうざん)は、かつて島根県(旧石見国)津和野町にあった銅、亜鉛等の鉱山で、現在は既に廃鉱となっている。
当初は銅を主たる産物としていたが、銅や亜鉛などの金属とともに、殺鼠剤(ネズミの駆除剤)の原料となる砒素(ヒ素)を副産物として産出したため、江戸時代には、むしろ砒素を主たる産物とするようになった。
江戸時代にヒ素を用いた殺鼠剤を商品化する際、当時、国内屈指の大銀山として知られていた「石見銀山(大森銀山)」の名を冠して、「石見銀山猫いらず」として売られたが、石見銀山では砒素は産出しない。
江戸時代に入り、石見銀山の産銀量が衰えるに伴い、「石見銀山」の名前は銀山としてよりも、殺鼠剤としての知名度を得るとともに、石見銀山が砒素の鉱山であるかような誤解を招いた。
現在でも旧笹ヶ谷鉱山周辺の残土や旧坑道からの排水には砒素が含まれており、コンクリート製の堰堤が築かれるなど、大規模な鉱害防止対策が施されている。
都茂鉱山の鉛・亜鉛鉱(島根県益田市美都町山本葛篭)
現地の案内板によると、都茂鉱山は平安時代より銅鉱山として知られ、長年にわたり採掘された。最盛期は戦後で、約200人の人が働き、ここで大まかに選鉱された銅、タングステン、金銀鉱などが各地に送られ精錬されたようだ。
都茂鉱山へは津和野方面からは、美都町を目指して山越えになる。 美都町葛篭の集落をすぎて深折すなわち野々峠方面に山道を登る。
山中にも関わらず道幅は1.5車線のしっかりした道で、意外と車が行き来する。 集落を抜けると、「中外鉱業都茂管理事務所」の大きな柱が立っている。次は、選鉱場跡を示す案内板が現れる。対岸の雑草が茂っているあたりに大がかりな選鉱場があった模様。さらに上流にのぼっていくと道路脇に手製の道路案内図が立っている。そこに車を止めて、脇道に入っていく。小道を2,3分たどると鉄枠の建物に到着。中には数個のモーターが置いてある。隣に「丸山坑」と書かれた坑口がある。
この坑口の前あたりのズリで広場になったところを表面採集した。曇りがちとはいえ、熱気のこもる山中、とても暑い。石英を含んだ石を中心に探し、錆っぽいものをハンマーでたたいた。一撃目は新鮮で劈開のはっきりした方鉛鉱と飴色の閃亜鉛鉱、それに黄金色の黄銅鉱が混ざりあっているのに出会った。
次に見つけた石は、輝水鉛鉱が小さく散らばったもの、そして真鍮色から赤褐色かたまり状の磁硫鉄鉱。
あまり期待はしていなかっただけに、広場を少し歩いただけでこれだけ収穫があり、とても来た甲斐があった。
豊稼鉱山 「所在地]島根県鹿足郡津和野町大字豊稼
昭和中頃までアンチモン,マンガンを採掘していた鉱山である。近くには,古くからの有名な笹ヶ谷鉱山があり,その支山として稼行していたらしい。当地は,鉱害対策工事が実施されており,南北に走る道路から植林地を少し入った所にわずかに施設跡が見られるばかりである。その施設付近等に転石があり,転石には閃亜鉛鉱,黄鉄鉱,硫砒鉄鉱,ベルチェ鉱,菱マンガン鉱,カリオピライトが見られる。また,ベズブ石,灰鉄輝石などのスカルン鉱物もあり,中には菱マンガン鉱中に微晶のベルチェ鉱が散らばったちょっと変わった組み合わせの鉱石も見られる。最近では,ベルチェ鉱の鉄がマンガンに置き換わったクレル鉱という鉱物が発見されている。鉱害対策工事が実施されているので,植林地を掘り返す等の行為は絶対に行わないこと。
青原鉱山
「所在地]島根県鹿足郡津和野町冨田
発見の詳細は不明であるが,マンガンを採掘していた鉱山である。資料では大正5年から大正9年まで稼行して休山したという記録がある。また,地元の人からの聞き取りでは昭和12年から採掘が進められ7年間稼行し,昭和20年に休山したということであった。資料的にもこの時期に稼行したという全く同様の記載が見られ,かなり正確であると思われる。鉱山名については青原鉱山としているが正確には青原第一鉱山の方が正しいかもしれない。ズリが2か所にあり,北側は道が二手に分かれる付近の谷沿いにあり,南側は民家の向かいにあり,崖地になっている。北側は田のほとりを歩いて沢沿いに進むと閉塞した坑口があり,その前にわずかながらズリが見られる。ズリ中には二酸化マンガン鉱,菱マンガン鉱,テフロ石,カリオピライトなどが見られた。聞き取りでは,いわゆる炭マンで質が良かったらしい。資料的には品位40%~50%程度となっている。かつてはこの坑口の上方の山の斜面にマンガン鉱石が多く転がっていたそうだ。一方,南側のズリは崖地で崩れかかっており,わずかに二酸化マンガン鉱が見られたのみであった。ちなみにどちらも民家に近く,ズリのある土地の所有者かどうかは不明であるが,田のほとりを通ったりするので話をして入らせていただくこと。また田のほとりの道は分かりづらいため稲のある時期は避けること。なお,島根県内には旧金城町に同名の鉱山跡があり,やはりマンガンを採掘していたそうだが,こちらの方は品質があまり良くなかったようだ。
高城鉱山[所在地]島根県益田市神田町
昭和中頃にアンチモンを採掘していた鉱山である。別名,三星鉱山(みぼしこうざん)ともいった。また鉱物標本を紹介している場で見られる北島鉱山という鉱山もこの鉱山のことか?坑口は数個確認できたがほとんどは危険防止のためふさがれており,ふさがれていない坑口も見られたがつぶれかかっていた。ズリはあまり多く見られないが坑口附近と坑口の前に埋まっているものが少し見られる。そのズリ中には輝安鉱やベルチェ鉱が見られた。小さいながらも輝安鉱かベルチェ鉱のどちらかは不明であるが結晶群も見られた。当地はマムシが非常に多いところらしく夏には藪になり,近くには小さいながらも水の流れもあることから蛇には注意した方がよさそうだ。
後溢鉱山(うしろえきこうざん)[所在地]島根県益田市向横田町
昭和中頃までマンガンを採掘していた鉱山である。集落を南北に走る道路から少し上がった所に民家があり,その民家の傍らから山に向かって登る小道があり,それを登って行き止まりまで行くと鉱山がある。鉱山跡にはわずかにズリが見られ,そのズリはマンガン鉱山でよく見られるようにほとんどが黒い石である。民家の人の話によると主に炭マンを採掘していたようだ。ズリ中にはアレガニー石が見られる。園石のようにも見えるが,あまり変成作用を受けていないようなので,ほぼアレガニー石であろう。この鉱山は先の民家の人の所有地であり,坑口の前には飲料用の井戸を所有しているため,立ち入る時にはその人に必ず許可をいただき,採集の際にも絶対に坑口には入らず,ズリを掘り返すことがないようにしなければならない。
終わりに
現代は輸入の増加で衰退してきたが、島根県西部には多くの鉱山が存在していた。これは、島根県西部地域には、砒素を含めた重金属類等が全国平均の3倍もあるという地質的地域特性によるものだ。
これらの鉱物資源は我々の生活には欠かすことのできない有用な役割を果たしている。
しかし、これは常に安全性に留意しているから有用なのであって、欲の皮の突っ張った無知な連中の利権の道具、無能な役人の飯のタネにために利用され、地域住民の安全・安心が失われるようなことを決して許してはならない。
by nakayama-yutaka
| 2008-06-25 00:46
| 砒素騒動
|
Comments(1)