2018年 09月 21日
日本犬 |
日本犬保存会
島根県支部展第100回記念展開催
島根は、近年話題となっております柴犬の祖、石見発祥の地として、また、四国犬の歴代大臣賞輩出の地として位置を築きつつあります。小型・中型ともどもに、今後も熱心な会員により一層の飛躍が予想されます。
現在、柳尾敦夫支部長(あけぼの東町「柳尾司法書士事務所」)を頂点として秋期展が益田市の運動公園にて9月23日(午前9時)に開催されます。
当日は懸念されていた天候も晴天が予想され晴れ晴れしい展覧会が模様されます。この機会に市民の皆様も益田市の柴犬をご覧ください。
大正末期から昭和初期、押し寄せた異国文化の波により町には洋犬との雑種化が進んだ犬たちが徘徊していた。そんななかで、日本犬保存運動の先駆者たちは日本中の山奥に分け入って、猟犬として日本犬の血を受け継いでいた地犬たちを見つけ出し、保存すべく繁殖を試みた。しかし時代の流れに逆らえず残念なことに絶滅してしまった そんな幻の日本犬をここで紹介します。
石州犬 (体高34cm~44cm)
島根県石見国・石州産で小型~中型に届く位の大きさのもの。益田市を中心とする山村に主に飼育されていた。この犬を世に知らしめたのは同じくここを出身地とする中村鶴吉であり、石州柴(小型)として『石号』・『神風号』を日本犬保存会の第5回展に出陳し、高い評価を得ている。その他『栃号』(中型)・『ユワ号』などがありその出陳数の多さと日本犬としての質の良さで、純粋な血統のものが数多く飼育されていたのが伺える。
特に『石号』は後肢の欠点はあったが最高の質であり、四国産の『コロ号』(黒柴)との交配によって欠点が改良された『アカ号』を作出。 『アカ号』から更に『アカ二号』と『紅子号』を作出し、この二頭からあの「柴犬中興の祖」『中号』が生まれた訳である。そして石州柴は鳥取・因幡犬との交配で山陰柴の保存と固定に至っている。
石州犬の保存はできなかったが、石州柴『石号』は現在の柴犬の基礎となったのである。
参考文献
「日本犬」平成9年度第5号 /「日本犬保存会創立五十周年史」上・下巻
「愛犬の友犬種別シリーズ柴犬」/「日本犬物語」 笹本雄一郎著 AA出版
「日本犬大観・復刻判」 愛犬の友/「愛犬放浪記」 戸川幸夫
山陰柴犬
山陰柴犬(さんいんしばいぬ)は、山陰地方原産の日本犬の一種。
歴史など
古くから山陰地方に根付き、この地に特化して育まれてきた地柴の一種である。山陰柴犬は韓国の珍島犬や済州犬と近い関係にあることがわかっている。つまりこのことから、山陰柴犬は朝鮮半島から渡ってきた犬を一祖先とすることが推定できるため、他の柴犬各種とは異なるのである。また、同じ日本の犬種では四国犬に近いことが最近の研究で判明してきた。もしかしたら弥生時代・古墳時代に、朝鮮半島から入ってきた人が連れてきた弥生犬が、本土(本州・四国・九州)で日本の縄文犬と交わって混血種が産まれたのかもしれない。三河犬・山陰柴犬・対馬在来犬は、韓国の珍島犬、済州犬とともに、ひとつのグループとして括られると、朧気に推測しようと思えば不可では無いと言えるかもしれない。
もともと山陰柴犬には2つの系統があり、それぞれが犬種として認知されていた。それらは飼育されている地域からとってそれぞれ因幡犬、石州犬と呼ばれていた。しかし、太平洋戦争などによる戦渦(食糧(飼料)不足、飼い犬献上令)や伝染病の流行などによっていずれも壊滅的なダメージを受け、絶滅寸前になってしまった。しかし、千年近く受け継がれてきた血統を絶やすことがないように保存会が犬種保存・再興の計画を立て、生き残った因幡犬を基礎に石州犬を交配し繁殖が継続された。統括が行われたために両系統の特徴はほとんど失われてしまったが、山陰柴犬は今日まで生き残ることができた。双方を残さなかったのは、個体数の激減によりそれぞれの種を維持する頭数を割り込んでいたためである。
しかし、現在もその頭数は非常に少なく、絶滅の危険性は未だに高い。生存頭数は250頭ほどしか存在しないと言われている。
今日山陰柴犬の保存・育成を行っている保存会は山陰柴犬育成会という会で、血統・スタンダード(犬種基準)の管理や品評、仔犬の譲渡など、犬種の保存に欠かせない作業を行っている。なお、仔犬の譲渡の条件は川上犬と同じく厳しいものである。
特徴
山陰柴犬の体高は、オス40センチメートル、メス37センチメートルで、顔つきは古武士のようなどと称されるが、いわゆる狐顔である。耳は小さめで位置も通常の柴犬とは違い、頭の上部について前方を向いている。一般の柴犬に比べて脚は長めで、少し痩せ型である。尾は差尾、鎌尾または巻尾。コートはスムースコートで、毛色については固定の段階で赤以外の毛色を排除したため、赤のみである。しかし赤のバリエーションは大きく、ほとんど白と言って良い個体(淡赤)から黒の混じった赤まで存在する。
小型犬サイズで、性格は主人に忠実かつ従順で落ち着きがあり、忍耐強い。運動量は多めで、病的抵抗力は通常の柴犬よりも高いといわれている。かかりやすい病気は特にない。晩成型で、高齢になっても外見上の変化が少ない。なお、一度に生まれる一腹子の数が2-3頭と少なく、発情間隔も通常より長い。この点もなかなか頭数が増加しない原因のひとつになっているが、比較的安産である。
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島根県支部展第100回記念展開催
島根は、近年話題となっております柴犬の祖、石見発祥の地として、また、四国犬の歴代大臣賞輩出の地として位置を築きつつあります。小型・中型ともどもに、今後も熱心な会員により一層の飛躍が予想されます。
現在、柳尾敦夫支部長(あけぼの東町「柳尾司法書士事務所」)を頂点として秋期展が益田市の運動公園にて9月23日(午前9時)に開催されます。
当日は懸念されていた天候も晴天が予想され晴れ晴れしい展覧会が模様されます。この機会に市民の皆様も益田市の柴犬をご覧ください。
大正末期から昭和初期、押し寄せた異国文化の波により町には洋犬との雑種化が進んだ犬たちが徘徊していた。そんななかで、日本犬保存運動の先駆者たちは日本中の山奥に分け入って、猟犬として日本犬の血を受け継いでいた地犬たちを見つけ出し、保存すべく繁殖を試みた。しかし時代の流れに逆らえず残念なことに絶滅してしまった そんな幻の日本犬をここで紹介します。
石州犬 (体高34cm~44cm)
島根県石見国・石州産で小型~中型に届く位の大きさのもの。益田市を中心とする山村に主に飼育されていた。この犬を世に知らしめたのは同じくここを出身地とする中村鶴吉であり、石州柴(小型)として『石号』・『神風号』を日本犬保存会の第5回展に出陳し、高い評価を得ている。その他『栃号』(中型)・『ユワ号』などがありその出陳数の多さと日本犬としての質の良さで、純粋な血統のものが数多く飼育されていたのが伺える。
特に『石号』は後肢の欠点はあったが最高の質であり、四国産の『コロ号』(黒柴)との交配によって欠点が改良された『アカ号』を作出。 『アカ号』から更に『アカ二号』と『紅子号』を作出し、この二頭からあの「柴犬中興の祖」『中号』が生まれた訳である。そして石州柴は鳥取・因幡犬との交配で山陰柴の保存と固定に至っている。
石州犬の保存はできなかったが、石州柴『石号』は現在の柴犬の基礎となったのである。
参考文献
「日本犬」平成9年度第5号 /「日本犬保存会創立五十周年史」上・下巻
「愛犬の友犬種別シリーズ柴犬」/「日本犬物語」 笹本雄一郎著 AA出版
「日本犬大観・復刻判」 愛犬の友/「愛犬放浪記」 戸川幸夫
山陰柴犬
山陰柴犬(さんいんしばいぬ)は、山陰地方原産の日本犬の一種。
歴史など
古くから山陰地方に根付き、この地に特化して育まれてきた地柴の一種である。山陰柴犬は韓国の珍島犬や済州犬と近い関係にあることがわかっている。つまりこのことから、山陰柴犬は朝鮮半島から渡ってきた犬を一祖先とすることが推定できるため、他の柴犬各種とは異なるのである。また、同じ日本の犬種では四国犬に近いことが最近の研究で判明してきた。もしかしたら弥生時代・古墳時代に、朝鮮半島から入ってきた人が連れてきた弥生犬が、本土(本州・四国・九州)で日本の縄文犬と交わって混血種が産まれたのかもしれない。三河犬・山陰柴犬・対馬在来犬は、韓国の珍島犬、済州犬とともに、ひとつのグループとして括られると、朧気に推測しようと思えば不可では無いと言えるかもしれない。
もともと山陰柴犬には2つの系統があり、それぞれが犬種として認知されていた。それらは飼育されている地域からとってそれぞれ因幡犬、石州犬と呼ばれていた。しかし、太平洋戦争などによる戦渦(食糧(飼料)不足、飼い犬献上令)や伝染病の流行などによっていずれも壊滅的なダメージを受け、絶滅寸前になってしまった。しかし、千年近く受け継がれてきた血統を絶やすことがないように保存会が犬種保存・再興の計画を立て、生き残った因幡犬を基礎に石州犬を交配し繁殖が継続された。統括が行われたために両系統の特徴はほとんど失われてしまったが、山陰柴犬は今日まで生き残ることができた。双方を残さなかったのは、個体数の激減によりそれぞれの種を維持する頭数を割り込んでいたためである。
しかし、現在もその頭数は非常に少なく、絶滅の危険性は未だに高い。生存頭数は250頭ほどしか存在しないと言われている。
今日山陰柴犬の保存・育成を行っている保存会は山陰柴犬育成会という会で、血統・スタンダード(犬種基準)の管理や品評、仔犬の譲渡など、犬種の保存に欠かせない作業を行っている。なお、仔犬の譲渡の条件は川上犬と同じく厳しいものである。
特徴
山陰柴犬の体高は、オス40センチメートル、メス37センチメートルで、顔つきは古武士のようなどと称されるが、いわゆる狐顔である。耳は小さめで位置も通常の柴犬とは違い、頭の上部について前方を向いている。一般の柴犬に比べて脚は長めで、少し痩せ型である。尾は差尾、鎌尾または巻尾。コートはスムースコートで、毛色については固定の段階で赤以外の毛色を排除したため、赤のみである。しかし赤のバリエーションは大きく、ほとんど白と言って良い個体(淡赤)から黒の混じった赤まで存在する。
小型犬サイズで、性格は主人に忠実かつ従順で落ち着きがあり、忍耐強い。運動量は多めで、病的抵抗力は通常の柴犬よりも高いといわれている。かかりやすい病気は特にない。晩成型で、高齢になっても外見上の変化が少ない。なお、一度に生まれる一腹子の数が2-3頭と少なく、発情間隔も通常より長い。この点もなかなか頭数が増加しない原因のひとつになっているが、比較的安産である。
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by nakayama-yutaka
| 2018-09-21 08:38
| ノンカテゴリ
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