2013年 02月 05日
言葉の表現 |
「くれた」「くれる」などの表現は・・・
最近のテレビなどの報道を聞いていると、「くれた」「くれる」などの表現を耳にするが、私などの戦前派、日本が独立していなかった時代を過ごした者には、どうも馴染まない言葉に感じる。敬語の重複は常語になることは理解できますが、「先生が・・をしてくれた」などの表現は学校でどう教えているのだろうか。
「くれる」の尊敬語は「下さる」となる。若者はタメ語(常語)も謙譲語か敬語として学習しているのだろうか。
新聞などの表記では、字数枠で一字でも記事を短く事が求められ敬称・敬語を省き常体(或いは文語体)としているが、ニュースなどで「くれた」「くれる」などと、そのまま口語体で話すのはいかがなものかと思う。「そうなんだー」とか「超すきー」などの流行語や造語も、アナウンサーは標準語を話すものだと思っている者には表現としてしっくりこない。
「~だ」「~である」調は常体。「~です」「~ます」調は敬体ですが。せめて敬体で報道するように努めてはいかがと思う。
目上の人から物などをいただく。ちょうだいする。「日ごろお客様からご愛顧を賜っております」くらいの表現にしたい。
ちなみに「くれる」は人が自分に対して物を与えるときに使う言葉であり、自分の動作を表す言葉ではないので「くれる」の謙譲語はないと思います。ただし、動作主体が違います。
尊敬語は相手を持ち上げる、謙譲語はこちらがへりくだる。「下さる」は相手側の動作、「賜る」は自分の動作だと思う。
【謙譲語】 敬語の一。話し手が、自分または自分の側にあると判断されるものに関して、へりくだった表現をすることにより、相対的に相手や話中の人に対して敬意を表すもの。
【謙遜語】 特別の語を用いる場合(「わたくし」「うかがう」「いただく」など)、接辞を付加する場合(「てまえども」など)、補助動詞などの敬語的成分を添える場合(「お…する」など)がある。
【標準語】 共通語が「その地域内で意思疎通を行うための便宜的な言葉」であるのに対して、標準語とは「人為的に整備された規範的な言葉」を指す。また、標準語とは「こう話す/書くべきである」という規範であり、共通語は、標準語を念頭におきつつ、「実際こう話して/書いている」という実状の言語であるという考え方もある。後者の説によれば、標準語とはすべての人が共通して持つ規範(標準)であり、しかし、実際には誰一人その通りに会話していない形而上的な言語である。
学校の先生が私の思いに感想を、また、どのように教えられているのかメールいただければ幸甚です。
最近のテレビなどの報道を聞いていると、「くれた」「くれる」などの表現を耳にするが、私などの戦前派、日本が独立していなかった時代を過ごした者には、どうも馴染まない言葉に感じる。敬語の重複は常語になることは理解できますが、「先生が・・をしてくれた」などの表現は学校でどう教えているのだろうか。
「くれる」の尊敬語は「下さる」となる。若者はタメ語(常語)も謙譲語か敬語として学習しているのだろうか。
新聞などの表記では、字数枠で一字でも記事を短く事が求められ敬称・敬語を省き常体(或いは文語体)としているが、ニュースなどで「くれた」「くれる」などと、そのまま口語体で話すのはいかがなものかと思う。「そうなんだー」とか「超すきー」などの流行語や造語も、アナウンサーは標準語を話すものだと思っている者には表現としてしっくりこない。
「~だ」「~である」調は常体。「~です」「~ます」調は敬体ですが。せめて敬体で報道するように努めてはいかがと思う。
目上の人から物などをいただく。ちょうだいする。「日ごろお客様からご愛顧を賜っております」くらいの表現にしたい。
ちなみに「くれる」は人が自分に対して物を与えるときに使う言葉であり、自分の動作を表す言葉ではないので「くれる」の謙譲語はないと思います。ただし、動作主体が違います。
尊敬語は相手を持ち上げる、謙譲語はこちらがへりくだる。「下さる」は相手側の動作、「賜る」は自分の動作だと思う。
【謙譲語】 敬語の一。話し手が、自分または自分の側にあると判断されるものに関して、へりくだった表現をすることにより、相対的に相手や話中の人に対して敬意を表すもの。
【謙遜語】 特別の語を用いる場合(「わたくし」「うかがう」「いただく」など)、接辞を付加する場合(「てまえども」など)、補助動詞などの敬語的成分を添える場合(「お…する」など)がある。
【標準語】 共通語が「その地域内で意思疎通を行うための便宜的な言葉」であるのに対して、標準語とは「人為的に整備された規範的な言葉」を指す。また、標準語とは「こう話す/書くべきである」という規範であり、共通語は、標準語を念頭におきつつ、「実際こう話して/書いている」という実状の言語であるという考え方もある。後者の説によれば、標準語とはすべての人が共通して持つ規範(標準)であり、しかし、実際には誰一人その通りに会話していない形而上的な言語である。
学校の先生が私の思いに感想を、また、どのように教えられているのかメールいただければ幸甚です。
by nakayama-yutaka
| 2013-02-05 07:55
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