2012年 08月 20日
会派とは(2) |
益田市議会々派
「政策会派ますだ未来会議」とは②
市長選で山本市長の当選が決まると、「政策会派ますだ未来会議」のHPには、「誰が市長になっても同じ」、「山本市長の政策は同会で遂行していたものがほとんど」、「選挙が終わればノーサイド」という文言が並んでいる。
これはどう解釈すればよいのだろうか。「誰が市長になっても同じ」だと言い、「山本市長の政策は同会で遂行していたものがほとんどだ」と言うのなら、なぜ山本氏を支援しないで、極めて深刻な経済環境の悪化を招きながら、違法な発注を繰り返して、益田市に膨大な損害を与えたCATVの導入を行い、意中の相手が落札しやすいように、PFI方式で決まっていた学校給食センター建設をひっくり返すような福原候補の応援をしなければならなかったのか。
同会派は、会長に(民主党平谷系、自民党員)の2期目の久城、副会長格も同じく2期目の河野。そして自民党中島系の三浦、同田中系の大賀市議らで構成されている。市長選では久城、河野、大賀らは福原支持。三浦は山本支持で動いた。支持した政党も市長も、県議系列も違う者同士の混成チームが、「山本市長の政策は同会で遂行していたものがほとんどだ」とは良く言えたものだ。
「選挙が終わればノーサイド」と言えば、いかにも潔いイメージをつくるための常とう句だが、概ね根深い怨念が潜んでいることが多い。最近では、野田首相が代表選挙後に吐いた。しかし、小沢グループなどの大量の離党を生んだ。ノーサイドはプロの存在しないラグビーだけの用語と知るべきだろう。それぞれに怨念は残る。
ところが、実力の伴わない議員は一人でいるのが不安だからとかく群れたがる。群れたところで力がつくはずもなく低レベルの烏合の衆が増えるだけだ。ところがそういう連中だから群れていても不安が募る。この種の単細胞議員は、市長に近いことが力のある議員だと錯覚しているから、市長と反目していては次の選挙で不利になると信じ込んでいる。市長にすり寄るチャンスを得るために、とりあえず「ノーサイド」と言っているだけなのだから、何時まで経っても議会のチェック機能は働かない。
それでは、この無様な猿芝居を演じた主役は誰なのか。
野村良二議員は、前回に続いて福原選対の幹事長。鎌手の佐々木、土田の寺戸両市議の後継として市議に出馬、出身電通労組の支援で初当選。2期目は今回で引退の約束で当選、さらに県議出馬を仄めかしたが取り消した。
田中県議、小河会長の役員加入が無くても楽勝と大久保市議を補佐に選対を組織、投票2日前には太田市に市議研修に参加、幹事長でありながら一日中選対を開けた。その翌日、福原氏は自己の不徳とするところで、支持が広がらないすと涙して起死回生をと支持者に訴えたが、幹事長として確たる対策を打ち出さず敗戦に追い込んだ。しかし、「そんなもんだよ」と涼しい顔をするのも特技のうち。社民、自民、国民新党と渡り歩いた風見鶏議員に幹事長を託したことが敗因であろう。
大久保五郎議員は、副幹事長に就任するが、補選の松本陣営の要人も兼務した。前回は自民党市議団に加わり、宮隅氏の傘下で活動、牛尾市長落選後は「きさらぎ会」に属していたが除名され、野村議員らと「改革の会」を結成、田中県議系に属した。市長・補選と二股で要職を務められるほどの能力はあるまい。選挙事務所に官憲のガサが入ったのはどういう訳か。
安達幾夫議員は、中島県議の命を受け選対本部長に就任。告示寸前になり吉田地区で自分の市政報告会を開催(小野沢会館)。本人が議長時代にごり押しで調査費400万円を付けた「駅裏南北連絡橋計画案」をぶちあげ有権者の不信を煽った。前回の牛尾市長の敗北の原因は吉田地区で田中陣営に押し切られ集票に失敗したことだが、この責任を取らずに選対本部長に就任したことで、支持者らは苦戦は余儀なくされたととの苦言をあちこちで聞いた。
佐々木恵二議員は、元日本新党で亀井派。合併後に自民党に鞍替え。選対組織部長就任は、安達(幾)の差し金であろうが、美都は連合の重鎮・山根議員に任せ、他地区で本人の市議選同様の活動に後指を指された。裏街では「結婚して欲しい議員」と称賛され集票に貢献した。シャドー市議会では安達議長-佐々木副議長の夢のまた夢は見えて来たと巷のスズメは嘆く。
※中島県議が絵を描いて選対本部長を使い走りに「大賀議員獲得作戦」は見事に失敗。さらに、会派に所属しない寺井議員に「清心会に入れてやるので土産(票)をもって選対本部長へ頼め」と言われ出向いたが、若手議員から時期尚早とあしらわれ、久保議員からは叱咤されたが、寺井議員は微かな次期議長の席を諦めきれず、献身努力し陽に焼けた顔は痛ましかった。
同じく会派に所属しない久保議員は、「匹見を久保議員が回ると票が落ちる」と後輩の組織部長から牽制されたが、匹見には匹見流の戦術があると、父・久保章(匹見町議長)4期、正典5期通算9期連続当選の実績で匹見地区をにくまなく浸透。「自分の選挙でも此処まではしないよ」と苦渋していたが、山本候補当選で何もかも忘れてしまったと、同胞の寺井議員と談笑していた。
山本候補の勝利要因は、陣営の中に「損得を以って計らず、義を以って計った」議員や支持者がいたことであろう。勿論、間違っても安達、佐々木は該当しない。
「政策会派ますだ未来会議」とは②
市長選で山本市長の当選が決まると、「政策会派ますだ未来会議」のHPには、「誰が市長になっても同じ」、「山本市長の政策は同会で遂行していたものがほとんど」、「選挙が終わればノーサイド」という文言が並んでいる。
これはどう解釈すればよいのだろうか。「誰が市長になっても同じ」だと言い、「山本市長の政策は同会で遂行していたものがほとんどだ」と言うのなら、なぜ山本氏を支援しないで、極めて深刻な経済環境の悪化を招きながら、違法な発注を繰り返して、益田市に膨大な損害を与えたCATVの導入を行い、意中の相手が落札しやすいように、PFI方式で決まっていた学校給食センター建設をひっくり返すような福原候補の応援をしなければならなかったのか。
同会派は、会長に(民主党平谷系、自民党員)の2期目の久城、副会長格も同じく2期目の河野。そして自民党中島系の三浦、同田中系の大賀市議らで構成されている。市長選では久城、河野、大賀らは福原支持。三浦は山本支持で動いた。支持した政党も市長も、県議系列も違う者同士の混成チームが、「山本市長の政策は同会で遂行していたものがほとんどだ」とは良く言えたものだ。
「選挙が終わればノーサイド」と言えば、いかにも潔いイメージをつくるための常とう句だが、概ね根深い怨念が潜んでいることが多い。最近では、野田首相が代表選挙後に吐いた。しかし、小沢グループなどの大量の離党を生んだ。ノーサイドはプロの存在しないラグビーだけの用語と知るべきだろう。それぞれに怨念は残る。
ところが、実力の伴わない議員は一人でいるのが不安だからとかく群れたがる。群れたところで力がつくはずもなく低レベルの烏合の衆が増えるだけだ。ところがそういう連中だから群れていても不安が募る。この種の単細胞議員は、市長に近いことが力のある議員だと錯覚しているから、市長と反目していては次の選挙で不利になると信じ込んでいる。市長にすり寄るチャンスを得るために、とりあえず「ノーサイド」と言っているだけなのだから、何時まで経っても議会のチェック機能は働かない。
それでは、この無様な猿芝居を演じた主役は誰なのか。
野村良二議員は、前回に続いて福原選対の幹事長。鎌手の佐々木、土田の寺戸両市議の後継として市議に出馬、出身電通労組の支援で初当選。2期目は今回で引退の約束で当選、さらに県議出馬を仄めかしたが取り消した。
田中県議、小河会長の役員加入が無くても楽勝と大久保市議を補佐に選対を組織、投票2日前には太田市に市議研修に参加、幹事長でありながら一日中選対を開けた。その翌日、福原氏は自己の不徳とするところで、支持が広がらないすと涙して起死回生をと支持者に訴えたが、幹事長として確たる対策を打ち出さず敗戦に追い込んだ。しかし、「そんなもんだよ」と涼しい顔をするのも特技のうち。社民、自民、国民新党と渡り歩いた風見鶏議員に幹事長を託したことが敗因であろう。
大久保五郎議員は、副幹事長に就任するが、補選の松本陣営の要人も兼務した。前回は自民党市議団に加わり、宮隅氏の傘下で活動、牛尾市長落選後は「きさらぎ会」に属していたが除名され、野村議員らと「改革の会」を結成、田中県議系に属した。市長・補選と二股で要職を務められるほどの能力はあるまい。選挙事務所に官憲のガサが入ったのはどういう訳か。
安達幾夫議員は、中島県議の命を受け選対本部長に就任。告示寸前になり吉田地区で自分の市政報告会を開催(小野沢会館)。本人が議長時代にごり押しで調査費400万円を付けた「駅裏南北連絡橋計画案」をぶちあげ有権者の不信を煽った。前回の牛尾市長の敗北の原因は吉田地区で田中陣営に押し切られ集票に失敗したことだが、この責任を取らずに選対本部長に就任したことで、支持者らは苦戦は余儀なくされたととの苦言をあちこちで聞いた。
佐々木恵二議員は、元日本新党で亀井派。合併後に自民党に鞍替え。選対組織部長就任は、安達(幾)の差し金であろうが、美都は連合の重鎮・山根議員に任せ、他地区で本人の市議選同様の活動に後指を指された。裏街では「結婚して欲しい議員」と称賛され集票に貢献した。シャドー市議会では安達議長-佐々木副議長の夢のまた夢は見えて来たと巷のスズメは嘆く。
※中島県議が絵を描いて選対本部長を使い走りに「大賀議員獲得作戦」は見事に失敗。さらに、会派に所属しない寺井議員に「清心会に入れてやるので土産(票)をもって選対本部長へ頼め」と言われ出向いたが、若手議員から時期尚早とあしらわれ、久保議員からは叱咤されたが、寺井議員は微かな次期議長の席を諦めきれず、献身努力し陽に焼けた顔は痛ましかった。
同じく会派に所属しない久保議員は、「匹見を久保議員が回ると票が落ちる」と後輩の組織部長から牽制されたが、匹見には匹見流の戦術があると、父・久保章(匹見町議長)4期、正典5期通算9期連続当選の実績で匹見地区をにくまなく浸透。「自分の選挙でも此処まではしないよ」と苦渋していたが、山本候補当選で何もかも忘れてしまったと、同胞の寺井議員と談笑していた。
山本候補の勝利要因は、陣営の中に「損得を以って計らず、義を以って計った」議員や支持者がいたことであろう。勿論、間違っても安達、佐々木は該当しない。
by nakayama-yutaka
| 2012-08-20 00:25
| 益田市議会
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