2011年 06月 06日
市議選前に考えよう |
議会の役目とは何か、市議選前に考えよう
議会を動かす、議会を刺激する、議会を活性化する
政治の深層亀裂の崩壊を住民が手助けしてはいないか!
益田市の人々は幸せか。地域の暮らしは安定しているか。住民と議会が「仲良く連携プレーしている地域」は、地域自身が輝いている。
声高に叫ばれている政治改革の潮流、それは中央政権だけの世界ではない。日本末端の町議会こそ「変わらなければ」ならない。深層亀裂を放っておいたらいずれ崩壊する。
重大なことは「市議会とは何か」を私たち地域の住民があまり知らない事実である。地域に一番身近な議員の役割、しなければいけない仕事、住民にはほとんど「見えていない」。議員に対する認識が「地域のお世話役」「就職コネの依頼」というイメージが大半。これでは深層亀裂の崩壊を住民が手助けしているようなものだ。
「いい議会を育てる」「生きた地方議会に蘇生する」ために、われわれ住民1人1人ができることは何だろうか。棄権をしない、「1票を投じる」以外のことで力を使えないか。
地域の1人1人が、自分の足もとから可能な政治改革の方法がありはしないか。「地域から日本を変える」運動かもしれない。日々のくらし、身近なところから日本の政治を変えていく運動。バッジをすでにつけている人たちの世界の話で終始してはならない。
地域に密着している地方議会で頑張っている議員さんがいたらエールを送るのも「改革につながる」。
1 行政をチェックする議員
市議会の最大の機能は「市長・行政のチェック」。役所のしていることが正しく住民の「いい暮らし」につながっているかいないかの見張り役だ。議会にその機能があってこそ、町長・行政の仕事に知恵が倍加し、磨きがかかるというもの。オール与党化で行政の提案はノーチェック、ナレ合い議会や、逆に何でも反対、行政のちょっとしたミスを取り上げては鬼の首でも取ったように騒ぎ立てるような議会が多いのも事実。市議会に議員の革命思想を持ち込んではいけない。組合運動は議会外ですべきだ。上部組織からの請願や審問事項の押しつけを市議会で審議すべきではない。
立法府である国会と異なり、町議会は納税者の代議員として、住民の立場にたった政策は応援し、そうでないものは鋭く追求する。「車の両輪」の役目が必要である。
「議員の仕事は、税金がいかに無駄なく、効率的に、公正に使われるか、これをチェックすることです。議員に執行権はないから、選挙の時に、あれをします、これをしますって言うのは、全部<ほら>です。議員にできるのは、議会での質問、監査請求、行政訴訟。一般の人より情報は入りますから、議員がしっかり追求せんといけない」。
「議員は住民の立場でモノを言うべきなのに、この頃は議員が行政執行部に追従している」
「議員は、非常勤の特別職公務員なのですよ。議会がなかったら、一番喜ぶのは何でも勝手なことができる町長でしょう。町長の行政をチェックするのが議員、議会の最大の仕事」です。
2 条例を提案する議員
住民のニーズを汲み上げ、先取りして提案することは議員に与えられた貴重な権限。そのための、公約実現に最も手近な手段が「条例」の制定である。「条例」とは議会の議決を経て成立する地方自治体の「法」のこと。憲法や地方自治法による制約はあるものの、地方自治法第112条で地方議員の議案提出権が保証されている。でもやっていないのだ。
議案提出のほとんどすべてが市長によるものになっているのは情けない。政治がこれだけ注目されているときだからこそ、政治家は必要に応じて、一歩踏み込んだ条例の取り組みをしてほしい。それには有権者の地域からの声も必要である。
「条例ではない宣言・決議のたぐいが、いかに無力かということを痛感した。宣言や決意というのは結局自治体としての一方的な意思表示であって、必ずしもそこに住む市民の思いの結晶ではないということです」
3 地方議会を気軽にのぞく
CATV(有線テレビ)で町議会の本会議をノーカットでImmediatelyで放送しなければならない。視聴率は高くなる。議員発言が増える。役場の課長と議員が政策で大議論になるような場合、視聴率は一段とあがるはずである。
何もやっていないのに「あれはオレがやった」という議員の過大宣伝や一人よがり発言がまかり通らなくなったのである。町政に対する正しい批判をする町民も増える。議員全体が総じて勉強するようになる。議員全員の発言も増える。
市執行部から出た施策または町民から出た請願や陳情は、概ね委員会委託として審議され、委員会報告を受けて議会で採決される。本会議では委員会報告を尊重するという慣行に基づいて審議されるので殆んど委員会報告どおり可決される。重大な事案であっても4人の賛成議員で決まるという危険きわまる審議方式である。県議会や市議会のように議員が多い議会であれば専門部審議的見解で処理することも有効であるが、町議会のように委員会構成が5~6人粗雑審議になってしまう。議員の中には審議議題に対して予備知識もなく学習過程もない知識で審議に参画するという無責任な審議が横行しているのも事実である。
例えば、空港問題、病院・医療問題、長沢トンネルヒ素流出問題、石見交通の路線バス廃止に伴う市営バスの業務を石見交通に委託させた問題、高津川の振興策、温泉経営問題、観光問題、公共工事入札問題等々は、議員はこの問題に触れることすら嫌がる傾向である。
さらに、議員の仕事とは国・県から予算交付された施策について、議会開催時に出席し審議・議決に参加することぐらいと考え、日常の調査、学習、地域住民の意見集約などしている者はいない。また、したという話も聞いたことがない。触らぬ神にたたり無し、事無かれ主義議員であり、5年先の益田市の展望策を何一つ語れない議員である。そこから議員定数削減論が摘出しても不自然ではない。
とくに、県の施策プランが市議会に話題にならず、報告すらない。県議会と市議会との意思疎通は皆無といってよいほど疎遠であることが、市産業振興を阻害している。
議会は本来、住民と接近しているものだ。納税者の代理人がなにを発言したのかは興味がある。発言を聞けば自分の選んだ議員の人格も判明する。住民サイドで言えば「議会は別世界」ではない。自分達の代弁者の集団なのだから、関心を抱かない方が不思議である。議員側も古い習慣や既成概念にとらわれず、住民が参加したり興味を持ちやすい議会にしてほしい。古参議員の「津和野町議会の慣例」という建設的でない発言が、幅を利かせ議会のマンネリ化を助成している。結果として、町民の声を反映する立場を阻害している。
改革の方法としては、議員定数問題。議員定年制、報酬削減、日当制、活動報告の提出、町施策の意見書提出などを議会として自主的に提言すべきである。
4 政策で議論する議会
議会を傍聴に行くと意外と面白い。身近な地域開発の議題が上がっているときなどがチャンスだ。と、思って行ってみてがっかりする。議員全員が参加して開く一般質問は儀式化している。「言論の府」が「朗読広場」に化けている。
質問する議員は清書した原稿をていねいに読み上げ(しかもあらかじめ通告済み)、答弁する執行部は答弁資料を慎重に読み上げる。これで緊張感が生まれるわけはない。<読み上げ一般質問>の後、再質問の時間がある場合も、ほとんど使わないことが多い。極端にいえば、一部の質問時間以外は、質問者も答える行政も全部準備した原稿を読み上げるだけ。「幼稚園の学芸会です」(前鳥取知事)。
議会の運営をスムーズにするには、型どおりの儀式も必要。それ以前に、問題は議会が地域の公共の幸せのための政策を論議しているかいないかだ。道路1つとってみても、信号機1つとってみても、地域をどうするかのグランドデザインをいかにしていくかの総合判断である。そういう根本の政策論議をしている場面を、われわれは傍聴したい。
そのためには、地域の声を議会に聞いてもらうのも手だてだ。自冶区や産業組織ごとに「請願書、陳情書」などを議会に送って、地域の問題をつぎつぎと挙げていって、議員の政策意欲を喚起させることが重要である。
しかし、送っても真剣に審議しない事実もある。例えば、山根議員が委員長を務めていた経済委員会では「三星橋の違法通行」を市長が越権裁量権を行使して特定業者に通行許可した件に対して、本紙が陳情書を呈したが、三星橋の設計書もない(市役所に何故か保管してない)のに、これを許可したことはせいとうであるとして、陳情を却下した。これなどは職務怠慢である。
5 やさしい議会言語にする
議論が盛り上がっても、時代遅れの難解な「議会言葉」は、聞いているほうには解らない。「本件の付託後において」「遺漏なく対処する所存であります」などという議会の言葉は一種の「隠語」みたいなもの。「可及的速やかに」とはどのくらい早いのか。「蓋然性」だの「狭隘な」だの「思料する」だのさっぱりわからない。「してまいる所存」「鋭意努力」「前向きに検討」「善処する」など否定なのか肯定なのか?
議会を動かす、議会を刺激する、議会を活性化する
政治の深層亀裂の崩壊を住民が手助けしてはいないか!
益田市の人々は幸せか。地域の暮らしは安定しているか。住民と議会が「仲良く連携プレーしている地域」は、地域自身が輝いている。
声高に叫ばれている政治改革の潮流、それは中央政権だけの世界ではない。日本末端の町議会こそ「変わらなければ」ならない。深層亀裂を放っておいたらいずれ崩壊する。
重大なことは「市議会とは何か」を私たち地域の住民があまり知らない事実である。地域に一番身近な議員の役割、しなければいけない仕事、住民にはほとんど「見えていない」。議員に対する認識が「地域のお世話役」「就職コネの依頼」というイメージが大半。これでは深層亀裂の崩壊を住民が手助けしているようなものだ。
「いい議会を育てる」「生きた地方議会に蘇生する」ために、われわれ住民1人1人ができることは何だろうか。棄権をしない、「1票を投じる」以外のことで力を使えないか。
地域の1人1人が、自分の足もとから可能な政治改革の方法がありはしないか。「地域から日本を変える」運動かもしれない。日々のくらし、身近なところから日本の政治を変えていく運動。バッジをすでにつけている人たちの世界の話で終始してはならない。
地域に密着している地方議会で頑張っている議員さんがいたらエールを送るのも「改革につながる」。
1 行政をチェックする議員
市議会の最大の機能は「市長・行政のチェック」。役所のしていることが正しく住民の「いい暮らし」につながっているかいないかの見張り役だ。議会にその機能があってこそ、町長・行政の仕事に知恵が倍加し、磨きがかかるというもの。オール与党化で行政の提案はノーチェック、ナレ合い議会や、逆に何でも反対、行政のちょっとしたミスを取り上げては鬼の首でも取ったように騒ぎ立てるような議会が多いのも事実。市議会に議員の革命思想を持ち込んではいけない。組合運動は議会外ですべきだ。上部組織からの請願や審問事項の押しつけを市議会で審議すべきではない。
立法府である国会と異なり、町議会は納税者の代議員として、住民の立場にたった政策は応援し、そうでないものは鋭く追求する。「車の両輪」の役目が必要である。
「議員の仕事は、税金がいかに無駄なく、効率的に、公正に使われるか、これをチェックすることです。議員に執行権はないから、選挙の時に、あれをします、これをしますって言うのは、全部<ほら>です。議員にできるのは、議会での質問、監査請求、行政訴訟。一般の人より情報は入りますから、議員がしっかり追求せんといけない」。
「議員は住民の立場でモノを言うべきなのに、この頃は議員が行政執行部に追従している」
「議員は、非常勤の特別職公務員なのですよ。議会がなかったら、一番喜ぶのは何でも勝手なことができる町長でしょう。町長の行政をチェックするのが議員、議会の最大の仕事」です。
2 条例を提案する議員
住民のニーズを汲み上げ、先取りして提案することは議員に与えられた貴重な権限。そのための、公約実現に最も手近な手段が「条例」の制定である。「条例」とは議会の議決を経て成立する地方自治体の「法」のこと。憲法や地方自治法による制約はあるものの、地方自治法第112条で地方議員の議案提出権が保証されている。でもやっていないのだ。
議案提出のほとんどすべてが市長によるものになっているのは情けない。政治がこれだけ注目されているときだからこそ、政治家は必要に応じて、一歩踏み込んだ条例の取り組みをしてほしい。それには有権者の地域からの声も必要である。
「条例ではない宣言・決議のたぐいが、いかに無力かということを痛感した。宣言や決意というのは結局自治体としての一方的な意思表示であって、必ずしもそこに住む市民の思いの結晶ではないということです」
3 地方議会を気軽にのぞく
CATV(有線テレビ)で町議会の本会議をノーカットでImmediatelyで放送しなければならない。視聴率は高くなる。議員発言が増える。役場の課長と議員が政策で大議論になるような場合、視聴率は一段とあがるはずである。
何もやっていないのに「あれはオレがやった」という議員の過大宣伝や一人よがり発言がまかり通らなくなったのである。町政に対する正しい批判をする町民も増える。議員全体が総じて勉強するようになる。議員全員の発言も増える。
市執行部から出た施策または町民から出た請願や陳情は、概ね委員会委託として審議され、委員会報告を受けて議会で採決される。本会議では委員会報告を尊重するという慣行に基づいて審議されるので殆んど委員会報告どおり可決される。重大な事案であっても4人の賛成議員で決まるという危険きわまる審議方式である。県議会や市議会のように議員が多い議会であれば専門部審議的見解で処理することも有効であるが、町議会のように委員会構成が5~6人粗雑審議になってしまう。議員の中には審議議題に対して予備知識もなく学習過程もない知識で審議に参画するという無責任な審議が横行しているのも事実である。
例えば、空港問題、病院・医療問題、長沢トンネルヒ素流出問題、石見交通の路線バス廃止に伴う市営バスの業務を石見交通に委託させた問題、高津川の振興策、温泉経営問題、観光問題、公共工事入札問題等々は、議員はこの問題に触れることすら嫌がる傾向である。
さらに、議員の仕事とは国・県から予算交付された施策について、議会開催時に出席し審議・議決に参加することぐらいと考え、日常の調査、学習、地域住民の意見集約などしている者はいない。また、したという話も聞いたことがない。触らぬ神にたたり無し、事無かれ主義議員であり、5年先の益田市の展望策を何一つ語れない議員である。そこから議員定数削減論が摘出しても不自然ではない。
とくに、県の施策プランが市議会に話題にならず、報告すらない。県議会と市議会との意思疎通は皆無といってよいほど疎遠であることが、市産業振興を阻害している。
議会は本来、住民と接近しているものだ。納税者の代理人がなにを発言したのかは興味がある。発言を聞けば自分の選んだ議員の人格も判明する。住民サイドで言えば「議会は別世界」ではない。自分達の代弁者の集団なのだから、関心を抱かない方が不思議である。議員側も古い習慣や既成概念にとらわれず、住民が参加したり興味を持ちやすい議会にしてほしい。古参議員の「津和野町議会の慣例」という建設的でない発言が、幅を利かせ議会のマンネリ化を助成している。結果として、町民の声を反映する立場を阻害している。
改革の方法としては、議員定数問題。議員定年制、報酬削減、日当制、活動報告の提出、町施策の意見書提出などを議会として自主的に提言すべきである。
4 政策で議論する議会
議会を傍聴に行くと意外と面白い。身近な地域開発の議題が上がっているときなどがチャンスだ。と、思って行ってみてがっかりする。議員全員が参加して開く一般質問は儀式化している。「言論の府」が「朗読広場」に化けている。
質問する議員は清書した原稿をていねいに読み上げ(しかもあらかじめ通告済み)、答弁する執行部は答弁資料を慎重に読み上げる。これで緊張感が生まれるわけはない。<読み上げ一般質問>の後、再質問の時間がある場合も、ほとんど使わないことが多い。極端にいえば、一部の質問時間以外は、質問者も答える行政も全部準備した原稿を読み上げるだけ。「幼稚園の学芸会です」(前鳥取知事)。
議会の運営をスムーズにするには、型どおりの儀式も必要。それ以前に、問題は議会が地域の公共の幸せのための政策を論議しているかいないかだ。道路1つとってみても、信号機1つとってみても、地域をどうするかのグランドデザインをいかにしていくかの総合判断である。そういう根本の政策論議をしている場面を、われわれは傍聴したい。
そのためには、地域の声を議会に聞いてもらうのも手だてだ。自冶区や産業組織ごとに「請願書、陳情書」などを議会に送って、地域の問題をつぎつぎと挙げていって、議員の政策意欲を喚起させることが重要である。
しかし、送っても真剣に審議しない事実もある。例えば、山根議員が委員長を務めていた経済委員会では「三星橋の違法通行」を市長が越権裁量権を行使して特定業者に通行許可した件に対して、本紙が陳情書を呈したが、三星橋の設計書もない(市役所に何故か保管してない)のに、これを許可したことはせいとうであるとして、陳情を却下した。これなどは職務怠慢である。
5 やさしい議会言語にする
議論が盛り上がっても、時代遅れの難解な「議会言葉」は、聞いているほうには解らない。「本件の付託後において」「遺漏なく対処する所存であります」などという議会の言葉は一種の「隠語」みたいなもの。「可及的速やかに」とはどのくらい早いのか。「蓋然性」だの「狭隘な」だの「思料する」だのさっぱりわからない。「してまいる所存」「鋭意努力」「前向きに検討」「善処する」など否定なのか肯定なのか?
by nakayama-yutaka
| 2011-06-06 06:21
| 益田市議会
|
Comments(2)
Commented
by
よその市民
at 2011-06-06 21:33
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益田市議会の場合、議員でありながら自治会長をやってるのがいますが、自治会長と議員なんて利益相反する関係なんじゃないかとも思わなくもないですが、そこの自治会の人間は誰も止めなかったんですかね?
「オマエは議員なんだから自治会長はするな」と。
むしろ「ちょうどいいわ」と歓迎されるのかね。
「オマエは議員なんだから自治会長はするな」と。
むしろ「ちょうどいいわ」と歓迎されるのかね。
0
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by
益田市民
at 2011-06-07 19:29
x
なぜ自治会長と議員が利益相反する関係なのでしょうか。自治会長やっていて議員がつまらないから自分が議員になるケースもあったりするようだから、所詮は人柄のもんだいでしょう。