2011年 04月 03日
支援のこころ |
昔の人は強かった
終戦から65年、日本は奇跡的に立ち直った。そして、経済の繁栄を模索し、世界第2位の経済大国を創りあげた。
だが、終戦で230万人の戦死者と財産を無くした。仕事もなく金もなく家族もないという条件下での復興であった。
私も終戦を小学校入学前に経験したが、世の中というものはこんなものだろうと、何も不安も不十も辛さも感じなかった。いま思えばよく生き延びたものだと寒気がする思いだ。
ときに、祖父の親せきは大阪境で震災に遭い我が家に7人も疎開してきた。父は二階の部屋を全部貸し与え、私たち家族は、父母と兄弟5人は一階の仕事部屋と隣り合わせの部屋で生活した。そのあと疎開してきた者は、親戚に割り振りし世話をした。
国の支援も自冶体の支援は何もない中での生活である。母は田舎の親戚を頼って米や食料品の調達に毎日出かけていた。疎開してきた親戚も我が家の家族も、それが鬱陶しいと謂う顔をする者は誰もいなかった。私など子供は家族が増え遊び相手が多くなったことで喜んでいた。
今の東日本大震災は、終戦の規模と比べれば物の数ではないと言えば叱咤されるであろうが、家族の絆、親族の疎遠、加えて核家族の構成が、人の思いやりを無くし、失礼な言い方だが不幸を背負った者は国に頼り支援状態を非難するなどの卑弱な人間を創った。
何故、田舎の親戚を頼って疎開しないのか。日本中で850兆円もの預金がある。被災者が疎開してきても、心さえあれば十分対応できる。電気製品の常備からしても、終戦時のように槇で釜を炊くこともいらなければ、井戸から水を汲むこともない。要は、支援する心である。
企業は支援の姿勢を宣伝費と換算し、政治家は選挙戦に利用する。津和野町は津和野高校を疎開の高校として支援すると現実性のないパフォーマンス施策を打ち出したりするが、被災地は自冶体の職員不足に苦慮している。10人でも職員を送ってはどうか。議員も派遣して職員と一緒に支援することが必至であろう。帰ってきたら優秀な職員に、思いやりのある仕事をする議員に成長していることであろう。
終戦から65年、日本は奇跡的に立ち直った。そして、経済の繁栄を模索し、世界第2位の経済大国を創りあげた。
だが、終戦で230万人の戦死者と財産を無くした。仕事もなく金もなく家族もないという条件下での復興であった。
私も終戦を小学校入学前に経験したが、世の中というものはこんなものだろうと、何も不安も不十も辛さも感じなかった。いま思えばよく生き延びたものだと寒気がする思いだ。
ときに、祖父の親せきは大阪境で震災に遭い我が家に7人も疎開してきた。父は二階の部屋を全部貸し与え、私たち家族は、父母と兄弟5人は一階の仕事部屋と隣り合わせの部屋で生活した。そのあと疎開してきた者は、親戚に割り振りし世話をした。
国の支援も自冶体の支援は何もない中での生活である。母は田舎の親戚を頼って米や食料品の調達に毎日出かけていた。疎開してきた親戚も我が家の家族も、それが鬱陶しいと謂う顔をする者は誰もいなかった。私など子供は家族が増え遊び相手が多くなったことで喜んでいた。
今の東日本大震災は、終戦の規模と比べれば物の数ではないと言えば叱咤されるであろうが、家族の絆、親族の疎遠、加えて核家族の構成が、人の思いやりを無くし、失礼な言い方だが不幸を背負った者は国に頼り支援状態を非難するなどの卑弱な人間を創った。
何故、田舎の親戚を頼って疎開しないのか。日本中で850兆円もの預金がある。被災者が疎開してきても、心さえあれば十分対応できる。電気製品の常備からしても、終戦時のように槇で釜を炊くこともいらなければ、井戸から水を汲むこともない。要は、支援する心である。
企業は支援の姿勢を宣伝費と換算し、政治家は選挙戦に利用する。津和野町は津和野高校を疎開の高校として支援すると現実性のないパフォーマンス施策を打ち出したりするが、被災地は自冶体の職員不足に苦慮している。10人でも職員を送ってはどうか。議員も派遣して職員と一緒に支援することが必至であろう。帰ってきたら優秀な職員に、思いやりのある仕事をする議員に成長していることであろう。
by nakayama-yutaka
| 2011-04-03 00:48
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