2010年 12月 07日
政治理念 |
津和野町はなぜ自滅したのか
少しタイトルが刺激的であるかもしれない。しかし、この「断定」がまさに今日の津和野町の状況であることを否応なく知らされる。
それは本紙が幾度と無く指摘しているように「津和野」と「日原」という、町民の価値観と感情が極端に違う2町の対等合併から始まった。
津和野町はたしかに良い町だと思うけれども、もうここからは何も生まれないような気がする。希望とか未来とか発展という言葉は、津和野という町のイメージと結びつかない。終わった町、そんな感がする。
何故なのか、議員の資質も萩市・浜田市議会と比べると大きく見劣りする。益田市長の小型首長が津和野のようだ。(どちらも同じような低レベルの首長なので、大小の区別はあまり意味はないが・・・)
議会で「来年度の予算は交付金が決まって考える。」と発言しているが、首長の発言としてはかなり常識を逸脱したものだ。町長選挙は昨年の秋に行われたから、来年度に全て自前の予算を組むことが時期的に困難なことは分かる。しかし「下森カラー」明確に打ち出せる再来年の予算編成の礎となる来年度の編成ではないか。
民主党政権になったからといって、交付金の額が大幅に低下することもない。しかも、交付金は補助金と違って何にでも使える。今まで行きあたりばったりの政策の積み重ねで衰弱してきた地域にとって、来年度は地域振興や住民福祉のためのグランド・デザインを明確にする極めて重要な年度となる。それを「来年度の予算は交付金が決まって考える」といっているのだから、「自分には町づくりのビジョンは何もない」と公言しているようなものだ。
何かめぼしい補助金100%の事業はないかと探してみたところで、明確なビジョンのない町政では、後の負担が増えるだけのメニューしかない。もっとも他の市町村が嫌がるから迷惑事業は100%補助どころか、国が後々まで面倒を見てくれるものもある。たとえば、核燃料の廃棄施設を誘致すればそれは可能だろうが、そこまで腹をくくった政策を打ち出すほどの度量もない。
政権担当能力もないまま政権を取り、幹部が思いつきで無責任な発言を繰り返し、国民のストレスを増幅させる民主党の姿と重なる。
いささか手遅れの感も否めないが、もう少し行政も含めた世の中の仕組みと常識を勉強したらどうか。
コンラッド・ローレンツ(オーストリアの動物行動学者)はその学論の中で「幼い次期に肉体的苦痛を味合うことの無かった人間は長じて必ず不幸な人間になる」といっている。肉体的苦痛とは決して家庭内の暴力や学校でのいじめのことではない。あくまで躾けの中で、彼らの意思に反してでも強いられる肉体的制約のことだ。
戦争を知らない、終戦と敗戦の意味が分からぬ、経済的にも社会的にも人並み以上の生活をしてきたボンボンにいきなり問題が山積されている津和野町の舵取りができるだろうか、町民のリーダーショップが取れるであろうか。選挙という魔物が彼に負託したのだから、責任は町民が取らねばならないが、その責任は任期の範囲内である。
「津和野地区と日原地区の一体感の醸成」と前中島町長の謳い文句をマニフェストに掲げ、所信表明でも町報に掲載したが、ますます目的とはかけ離れたものになっている。
田中美知太郎氏(新潟県出身の哲学者、京都大学名誉教授)は「憲法に日本は平和を守ると書いて謳えば平和が達成され得るなら、毎年大きな被害をもたらす台風は日本にきてはならぬと憲法に宣言すれば、台風は来なくなるのか」という名言を吐いた。下森町長の所信表明はこれに類似している。
町政執行は部下がまとめて上申し、イエスかノーと判断すればよいと思っていては大きな間違いを惹起することになる。また、手遅れになることが多い。今回の町が払わなければならない契約不履行の損害賠償金、そして死亡事故の家族への慰謝料問題が正にそれである。
議会運営委員長と副町長に水面下での和解裏工作をさせておいて、大筋で妥結していたが、町長が尽力して町民の血税の支出を少なくしたとの手柄が欲しいばかりに拗れてしまった。苦労した副町長と斉藤議員は馬鹿を見たと自分の能力のなさは棚に上げて悔やみ憤慨していることであろう。こうした町長の冷淡さが職員に浸透し、町長のために尽力する職員はいなくなった。3月には有能な課長をはじめ5人も退職するというではないか。まさに裸の王様ならず阿久根市長の津和野版というところか。阿久根市長は議会を無視してやりすぎ、津和野町長は議会を軽視してやらん過ぎ。どっちも住民に多大な迷惑と負担を背負わせている。
今回の全員協議会には課長連中の姿は議場にはなかった。要らぬから出なくてもよいというのか。課長らが出たがらないのか。しかし、町長が専決処分して決定したら、事務的処理をするのは課長だ。経緯の顛末を知らずに事務処理ができるのか。それとも、町長はヤル気はまったくないのか。
by nakayama-yutaka
| 2010-12-07 11:05
| 津和野町政
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