2010年 08月 13日
盆 |
「柳参り」が津和野盆踊りの幕開けを告げる
島根県無形民俗文化財の津和野盆踊りの幕開けを告げる「柳参り」が10日夜、津和野町後田の新丁通りであった。黒覆面に白い振り袖の伝統衣装をまとった独特の舞が、城下町で披露された。
津和野城主の亀井政矩が1617年、因幡鹿野城から国替えされた時に伝えた。覆面姿の衣装は、亀井氏の祖先が城攻めの際、よろいの上に踊りの衣装を着せて潜入し、油断した敵に奇襲を掛けた逸話に由来する。
盆に戦の逸話の踊りを催すのは盆の意義に反するような気もするが、伝統というものはそんなものであろう。盆踊りには京都から伝わった白坂踊りと薩摩から伝わったヤンサ踊りの二つの流れがある。その流れが合流するのが益田市、津和野町である。白坂踊りは振り手を下に下げる、ヤンサ踊りは阿波踊りのように手を上に上げる特徴がある。合流するところには両面踊りというものがあり白坂踊りとヤンサ踊りをアレンジしたようなものがある。
まだ東日本が余り開かれていない時代、石西地区は日本の中心を位置していたのであろうか。
お盆は旧暦の7月15日を中心に行われる先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついてできた行事です。多くの地方で8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間をお盆としていますが、地方によっては7月一杯をお盆とする地域や旧暦通り7月15日を中心に行う地域などがあります。
■13日:迎え盆(お盆の入り)
夕方に仏壇や精霊棚〔しょうりょうだな〕(※)の前に灯りを灯した盆提灯〔ぼんちょうちん〕を置き、庭先や門口に皮をはぎ取った麻の茎(麻幹〔おがら〕)を焚きます。この灯りと炎を「迎え火」と言い、精霊に戻る家の場所を伝えます。また、先祖の墓が家の近くにある場合には、お墓の前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内します。このように、お盆は精霊を家に迎え入れる事から始まります。
■14日・15日
精霊が家に留まっている期間です。仏壇にお供え物をして迎え入れた精霊の供養をします。
■16日:送り盆(お盆の明け)
16日の夜に、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じ位置に今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出します。
■精霊馬=キュウリとナス■
※キュウリとナスビに割り箸を刺して馬と牛に見立てたもの。
・キュウリは馬の例えです。お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表現しています。
・ナスは牛を表現しています。お盆が終わって、帰るときはのんびりと。
◆一説には、
「精霊がキュウリの馬に乗り、牛には荷物を乗せて楽に帰れるように」という意味が込められているとも言われています。
島根県無形民俗文化財の津和野盆踊りの幕開けを告げる「柳参り」が10日夜、津和野町後田の新丁通りであった。黒覆面に白い振り袖の伝統衣装をまとった独特の舞が、城下町で披露された。
津和野城主の亀井政矩が1617年、因幡鹿野城から国替えされた時に伝えた。覆面姿の衣装は、亀井氏の祖先が城攻めの際、よろいの上に踊りの衣装を着せて潜入し、油断した敵に奇襲を掛けた逸話に由来する。
盆に戦の逸話の踊りを催すのは盆の意義に反するような気もするが、伝統というものはそんなものであろう。盆踊りには京都から伝わった白坂踊りと薩摩から伝わったヤンサ踊りの二つの流れがある。その流れが合流するのが益田市、津和野町である。白坂踊りは振り手を下に下げる、ヤンサ踊りは阿波踊りのように手を上に上げる特徴がある。合流するところには両面踊りというものがあり白坂踊りとヤンサ踊りをアレンジしたようなものがある。
まだ東日本が余り開かれていない時代、石西地区は日本の中心を位置していたのであろうか。
お盆は旧暦の7月15日を中心に行われる先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついてできた行事です。多くの地方で8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間をお盆としていますが、地方によっては7月一杯をお盆とする地域や旧暦通り7月15日を中心に行う地域などがあります。
■13日:迎え盆(お盆の入り)
夕方に仏壇や精霊棚〔しょうりょうだな〕(※)の前に灯りを灯した盆提灯〔ぼんちょうちん〕を置き、庭先や門口に皮をはぎ取った麻の茎(麻幹〔おがら〕)を焚きます。この灯りと炎を「迎え火」と言い、精霊に戻る家の場所を伝えます。また、先祖の墓が家の近くにある場合には、お墓の前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内します。このように、お盆は精霊を家に迎え入れる事から始まります。
■14日・15日
精霊が家に留まっている期間です。仏壇にお供え物をして迎え入れた精霊の供養をします。
■16日:送り盆(お盆の明け)
16日の夜に、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じ位置に今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出します。
■精霊馬=キュウリとナス■
※キュウリとナスビに割り箸を刺して馬と牛に見立てたもの。
・キュウリは馬の例えです。お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表現しています。
・ナスは牛を表現しています。お盆が終わって、帰るときはのんびりと。
◆一説には、
「精霊がキュウリの馬に乗り、牛には荷物を乗せて楽に帰れるように」という意味が込められているとも言われています。
by nakayama-yutaka
| 2010-08-13 00:35
| ノンカテゴリ
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Comments(1)
Commented
by
悲しすぎる
at 2010-08-13 09:50
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ほとほと嘆かわしく、頭に来て血圧あがりまくる話題ばかりであるが、こういった昔の伝統の夏祭り、盆踊りのニュースは一時ではあるが、故郷の良さを思い出す。そう、津和野の盆踊りは独特である。阿波踊りなどの踊り狂い、騒ぎまくる盆踊りとは真逆な津和野の盆踊り。それには深い意味があるのだ。それを思うと、夏のすごし方は人それぞれ、踊り狂うもよし、一時ではあるが昔のことを思い出しながら武士の時代を感じるのもよいではないか。
この盆踊りを、まだ愛でられているうちはいいのだろうか・・・しかしながら、相変わらずの悲しすぎる津和野、益田、そして島根県である。
仕訳されたら、なくなる県でありましょう・・・・・・・・・
この盆踊りを、まだ愛でられているうちはいいのだろうか・・・しかしながら、相変わらずの悲しすぎる津和野、益田、そして島根県である。
仕訳されたら、なくなる県でありましょう・・・・・・・・・
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