2010年 02月 05日
議員のあるべき姿Ⅴ |
議員が行える改革とは
例えば予算の精査である。よく議員は予算審議が苦手だ、予算書を読むことが苦手だという。予算書の作り方ににも問題があるが、議員の努力も足りない。
一般の商店でも、複式簿記をしている。青色申告や法人なら複式だが、行政簿記は単式である。単式簿記は現金出納簿に毛が生えたようなもので簡単であるが、ごまかし方も簡単である、それだけに行政事務経験が無いものにとっては分かりにくい。議会の監査役といっていても、3級商業簿記の資格も取っていないものが殆んどで、このような議員が監査を行っている。監査報告は「慎重に監査した結果すべての項目に関し、遺漏無きものと認める」と報告し、議会もその報告を認め予算執行を承認する。
監査を外部の会計士や税理士に委託すれば経費、内容とも充実した監査報告が行われるだろう。
予算額は、政策の重要性に比例する。政策自体の理解を抜きに、数字の増減だけを眺めても本質は分からない。
役所側に任せ切りにせず、まず各議会で予算研究会を立ち上げるなどして、議会が独自に「もう一つの予算編成」をしてみたらどうか。現行制度では予算の編成権こそ無いが、予算を編成する事で自治体が直面する課題の全体像が見え、改革の焦点がはっきりするはずである。
条例提案も少なすぎる。議会の運営や議員報酬の改定などの議会関連条例はともかく、環境や福祉、文化、教育といった住民サービスに直結する「政策条例」の提案が稀有に近い。
職務として議員に一任期一条例の提出を義務付けてはどうだろうか。政策条例のテーマは農政、福祉、教育、町づくり、地産地消など山ほどある。
「コメント紹介」(悲しすぎるさんより)
「勘定を業者に付け替える議員がいるのですか。やろうと思ってもできる事ではないと思いますが。そんな議員がいれば辞めてもらわなければなりませんね」 でも、やめない。知っていても「長いものにまかれろ」根性は町民の悪いところでもありましょう。
しかし、目からウロコというよりは、ボロがボロボロ出てきてませんか? いい加減なことを繕うために条例文やら事例やらを持ち出す手段は、情報のない一般民を押さえつける上からの常套句であります。
きったねーよなー!!と、汚い言葉を投げつけるのは簡単なのかもしれません。本当に、襟を正してきちんと根本から見直す時と考えます。ネット社会の良い面を利用することは、何も知らされない一般民のまたとないツールなのでしょう。
私はまだ津和野町民の常識ある若い力に期待したい。自らで襟を正せないものたちの襟をちぎってやろうではないですか! がんばれ、津和野よ、「鴎外」の「西周」の精神は、必ず宿っている。
そもそも「法」とは、人が社会的に生きていく上での最低限の決まり。
法律ではこうだからいいのだ、OKというのでは・・お粗末なんだよ!!何のための議員だ、町長だ。
違法ではないからいい、と?そこにヒューマンという創造可能なものとして生まれてきた本質がないではないか。
法に違っていても創造性、思考性、時代性を捉え自らが変えていかなくては、これからの地方自治はダメ。
「教育」であろう。若い世代だけでなく津和野の古い「偉い」と目される世代の再教育。与えられた伝統に固執しあぐらをかき脅かすものを排除し、甘いぬる~い環境にどっぷりつかる、そういう人たちこそ今の津和野の現状の責任を痛感すべきである。
今一度、「鴎外」、「西周」を勉強すべきではないかと、心から思う。コネは先祖からもらうものが多かろう。
しかし、所詮コネはコネ。変えていくしかない。津和野の数ある坊主よ、商売をやれ!と言いたい。
コネ、コネ、コネ、日本社会土着のものである、「信用」「出所をきちんとする」という考えからなのだ。あまりにも内向き、臆病ではないか、このグローバルな世の中において。それを変えるのが若い世代なのです。それを強く主張する。そういう議員っているの?
例えば予算の精査である。よく議員は予算審議が苦手だ、予算書を読むことが苦手だという。予算書の作り方ににも問題があるが、議員の努力も足りない。
一般の商店でも、複式簿記をしている。青色申告や法人なら複式だが、行政簿記は単式である。単式簿記は現金出納簿に毛が生えたようなもので簡単であるが、ごまかし方も簡単である、それだけに行政事務経験が無いものにとっては分かりにくい。議会の監査役といっていても、3級商業簿記の資格も取っていないものが殆んどで、このような議員が監査を行っている。監査報告は「慎重に監査した結果すべての項目に関し、遺漏無きものと認める」と報告し、議会もその報告を認め予算執行を承認する。
監査を外部の会計士や税理士に委託すれば経費、内容とも充実した監査報告が行われるだろう。
予算額は、政策の重要性に比例する。政策自体の理解を抜きに、数字の増減だけを眺めても本質は分からない。
役所側に任せ切りにせず、まず各議会で予算研究会を立ち上げるなどして、議会が独自に「もう一つの予算編成」をしてみたらどうか。現行制度では予算の編成権こそ無いが、予算を編成する事で自治体が直面する課題の全体像が見え、改革の焦点がはっきりするはずである。
条例提案も少なすぎる。議会の運営や議員報酬の改定などの議会関連条例はともかく、環境や福祉、文化、教育といった住民サービスに直結する「政策条例」の提案が稀有に近い。
職務として議員に一任期一条例の提出を義務付けてはどうだろうか。政策条例のテーマは農政、福祉、教育、町づくり、地産地消など山ほどある。
「コメント紹介」(悲しすぎるさんより)
「勘定を業者に付け替える議員がいるのですか。やろうと思ってもできる事ではないと思いますが。そんな議員がいれば辞めてもらわなければなりませんね」 でも、やめない。知っていても「長いものにまかれろ」根性は町民の悪いところでもありましょう。
しかし、目からウロコというよりは、ボロがボロボロ出てきてませんか? いい加減なことを繕うために条例文やら事例やらを持ち出す手段は、情報のない一般民を押さえつける上からの常套句であります。
きったねーよなー!!と、汚い言葉を投げつけるのは簡単なのかもしれません。本当に、襟を正してきちんと根本から見直す時と考えます。ネット社会の良い面を利用することは、何も知らされない一般民のまたとないツールなのでしょう。
私はまだ津和野町民の常識ある若い力に期待したい。自らで襟を正せないものたちの襟をちぎってやろうではないですか! がんばれ、津和野よ、「鴎外」の「西周」の精神は、必ず宿っている。
そもそも「法」とは、人が社会的に生きていく上での最低限の決まり。
法律ではこうだからいいのだ、OKというのでは・・お粗末なんだよ!!何のための議員だ、町長だ。
違法ではないからいい、と?そこにヒューマンという創造可能なものとして生まれてきた本質がないではないか。
法に違っていても創造性、思考性、時代性を捉え自らが変えていかなくては、これからの地方自治はダメ。
「教育」であろう。若い世代だけでなく津和野の古い「偉い」と目される世代の再教育。与えられた伝統に固執しあぐらをかき脅かすものを排除し、甘いぬる~い環境にどっぷりつかる、そういう人たちこそ今の津和野の現状の責任を痛感すべきである。
今一度、「鴎外」、「西周」を勉強すべきではないかと、心から思う。コネは先祖からもらうものが多かろう。
しかし、所詮コネはコネ。変えていくしかない。津和野の数ある坊主よ、商売をやれ!と言いたい。
コネ、コネ、コネ、日本社会土着のものである、「信用」「出所をきちんとする」という考えからなのだ。あまりにも内向き、臆病ではないか、このグローバルな世の中において。それを変えるのが若い世代なのです。それを強く主張する。そういう議員っているの?
by nakayama-yutaka
| 2010-02-05 18:16
| ノンカテゴリ
|
Comments(1)
Commented
by
無いものねだり
at 2010-02-05 21:57
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中山さん 議員の条例提案なんて無理だし無駄^^もちろん議員の救い難い能力の低さもある。事務局スタッフも特に行政法務の専門教育を受けているわけではない。
その連中に「条例提案を!」なんぞとプレッシャーをかければ、益田市議会のように他所から笑われるような「議会基本条例」なるものをつくってしまう。あちこちの先行事例をつなぎ合わせるだけ。条例ができたといって中身は何にも変わらないのは御覧のとおり。
その連中に「条例提案を!」なんぞとプレッシャーをかければ、益田市議会のように他所から笑われるような「議会基本条例」なるものをつくってしまう。あちこちの先行事例をつなぎ合わせるだけ。条例ができたといって中身は何にも変わらないのは御覧のとおり。
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