2009年 12月 03日
「議会軽視では」 |
先行報道は「議会軽視では」
町長の施策が町議会に知らされるよりも早く町広報「つわの」に報道されたことに疑問を呈する。
「重大施策が町議会で説明される前に議会で承認したかのように町民各個に配布された。
これによると「①職員の地域担当制の導入」や「②行政情報の公開」などを施策として掲載されている。①については職員の労働条件の変更に伴うもので、新規施策に対する要員の確保等労組との協議も不可欠事項である。②についてはどの事項をどのような形で情報公開するのか等の具体的な方法が明示されていない。所信表明が行なわれて議会からの質問を受けて承認を受けて、町民に公開するもので議会軽視といわざるを得ない。議会軽視は町民軽視で町民を愚弄するものである。
臨時議会も議会側が期日を1日と定め審問時間も設けなかった欠陥もあるが、万一、議会から具体な質問と訂正事項が可決されれば、重大な失態で議会軽視となる。また、労組から団交を求められれば拒否するわけには行かず、拒否すれば団交拒否として県地方労働委員会に提訴され、町執行部の責任を問われる。
幸いにして、議会も職労もこれに気が付かない「夏炉冬扇」の団体だから良いようなものの、他の自治体では重要な失態として重いものになる。一部議員らは新町長が全員協議会をボコットしたり挨拶が無い事を取り上げ議会軽視と言っているが、全協開催に議会から出席要請が無ければ、何も議会軽視にはならない。ここにも議会のルールさえ知らない議員の低質を暴露している。
新町長就任時からこのような事態を惹起するようでは、4年持つかと町民から揶揄されても仕方あるまい。執行権を持った町政と議会との関係で非常に不幸なことだ。
本紙の見解は、議会は町民の代表として執行部を監視しメディアは議員とは違う立場で行政を監視する役目がある。町の施策が先に報道に出たということはあまり生産的とは言えない。得られた情報を基に行政をどう正していくかに力を注ぐことが大事であると考える。
議員有って議会なし
町の条例を作り、変える権力は町議会だけにある。つまり、全ての条例の責任が町議会にある。議会は条例を通じて津和野町を作る責任と権力がある。議会は時宜に合っているか日常的に条例をチェックし、修正するという作業が出来ていなければならない。
ところが議会はその作業をやっていない。議員が一同に会して津和野町の現状と未来を語ったこともない。議会は合議制であり、合意形成のための徹底的な議論がなされるべきだが、そのような議論をしたことがない。職員側から条例改正案が出るまで何もしない。議案が出てくれば、それにケチをつけ、注文をつけて賛成する。 徹底した議論を経ずに、議員達がそれぞれの個人的な好み、愛憎と欲などで判断している。その多数決を議会の意思などと誤魔化している。「議員有って議会なし」の状態である。
「議会」という言葉には2種類の意味がある。全く別のものを同じ言葉で表現しているので混乱が起きている。
1、議員の集合体の「議会」(名前なので、議論をしなくても議会に違いない)
2、議論する場を表す「議会」(議論を前提にする場のこと)
「議会軽視」という言葉がある。1の意味でならば、形式的あるいは儀式的な意味合いしかない。議員が「優越感を傷つけられた」くらいの意味だろう。
2の意味ならば「議論を軽視した」という意味なので責任放棄である。
さて、本当の意味で日常的に「議会軽視」をしているのは議員達自身ではないだろうか。全ての条例に対して責任と権力がありながら、「チェック機関」などとお客さんのような立場に逃げ込んでいるのではないか。
議員自身が不作為の罪で「議会」をおとしめ、辱めているのではないか。来賓扱いなどをされる事で、自分を「他人を評価するエライ立場」などと勘違いしてはいないか。
私は来賓席での態度、祝辞の話し振りにまで勘違いのニオイを感じている。中身の空虚さを、虚勢で補おうとしているように見える。この感覚は、ありがちなひがみ根性からくるものではないはずだ。
町長の施策が町議会に知らされるよりも早く町広報「つわの」に報道されたことに疑問を呈する。
「重大施策が町議会で説明される前に議会で承認したかのように町民各個に配布された。
これによると「①職員の地域担当制の導入」や「②行政情報の公開」などを施策として掲載されている。①については職員の労働条件の変更に伴うもので、新規施策に対する要員の確保等労組との協議も不可欠事項である。②についてはどの事項をどのような形で情報公開するのか等の具体的な方法が明示されていない。所信表明が行なわれて議会からの質問を受けて承認を受けて、町民に公開するもので議会軽視といわざるを得ない。議会軽視は町民軽視で町民を愚弄するものである。
臨時議会も議会側が期日を1日と定め審問時間も設けなかった欠陥もあるが、万一、議会から具体な質問と訂正事項が可決されれば、重大な失態で議会軽視となる。また、労組から団交を求められれば拒否するわけには行かず、拒否すれば団交拒否として県地方労働委員会に提訴され、町執行部の責任を問われる。
幸いにして、議会も職労もこれに気が付かない「夏炉冬扇」の団体だから良いようなものの、他の自治体では重要な失態として重いものになる。一部議員らは新町長が全員協議会をボコットしたり挨拶が無い事を取り上げ議会軽視と言っているが、全協開催に議会から出席要請が無ければ、何も議会軽視にはならない。ここにも議会のルールさえ知らない議員の低質を暴露している。
新町長就任時からこのような事態を惹起するようでは、4年持つかと町民から揶揄されても仕方あるまい。執行権を持った町政と議会との関係で非常に不幸なことだ。
本紙の見解は、議会は町民の代表として執行部を監視しメディアは議員とは違う立場で行政を監視する役目がある。町の施策が先に報道に出たということはあまり生産的とは言えない。得られた情報を基に行政をどう正していくかに力を注ぐことが大事であると考える。
議員有って議会なし
町の条例を作り、変える権力は町議会だけにある。つまり、全ての条例の責任が町議会にある。議会は条例を通じて津和野町を作る責任と権力がある。議会は時宜に合っているか日常的に条例をチェックし、修正するという作業が出来ていなければならない。
ところが議会はその作業をやっていない。議員が一同に会して津和野町の現状と未来を語ったこともない。議会は合議制であり、合意形成のための徹底的な議論がなされるべきだが、そのような議論をしたことがない。職員側から条例改正案が出るまで何もしない。議案が出てくれば、それにケチをつけ、注文をつけて賛成する。 徹底した議論を経ずに、議員達がそれぞれの個人的な好み、愛憎と欲などで判断している。その多数決を議会の意思などと誤魔化している。「議員有って議会なし」の状態である。
「議会」という言葉には2種類の意味がある。全く別のものを同じ言葉で表現しているので混乱が起きている。
1、議員の集合体の「議会」(名前なので、議論をしなくても議会に違いない)
2、議論する場を表す「議会」(議論を前提にする場のこと)
「議会軽視」という言葉がある。1の意味でならば、形式的あるいは儀式的な意味合いしかない。議員が「優越感を傷つけられた」くらいの意味だろう。
2の意味ならば「議論を軽視した」という意味なので責任放棄である。
さて、本当の意味で日常的に「議会軽視」をしているのは議員達自身ではないだろうか。全ての条例に対して責任と権力がありながら、「チェック機関」などとお客さんのような立場に逃げ込んでいるのではないか。
議員自身が不作為の罪で「議会」をおとしめ、辱めているのではないか。来賓扱いなどをされる事で、自分を「他人を評価するエライ立場」などと勘違いしてはいないか。
私は来賓席での態度、祝辞の話し振りにまで勘違いのニオイを感じている。中身の空虚さを、虚勢で補おうとしているように見える。この感覚は、ありがちなひがみ根性からくるものではないはずだ。
by nakayama-yutaka
| 2009-12-03 00:35
| 津和野町政
|
Comments(3)
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by
町民30代
at 2009-12-04 18:58
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「議員有って議会なし」とは、なんとも嘆かわしいかぎりです。
今の津和野町の議員の大半の人が、初心を忘れて【議員】から【偽員】に成り下がっているのでは?
来年は町議選がありますが、候補者全員に本当に議員としての資質があるかどうか、試験をしてみてはどうかと思います。
言葉を知らない、理解してない、情報に疎い、数字に弱い、お金のために議員になる・・・・・・・
そんな人が薄っぺらな理想や正義をかざして親戚の多さや、知人の多さだけで議員に当選してしまっても津和野町の役に立つはずがありません。
まずは高校入試程度の問題や地方行政についての論文ぐらいはできてあたりまえではないでしょうか。
もう議論のできない偽員(議員)はいらないっ!!仲良しグループの議会もいらないっ!!・・・・と感じているのは私だけ???
今の津和野町の議員の大半の人が、初心を忘れて【議員】から【偽員】に成り下がっているのでは?
来年は町議選がありますが、候補者全員に本当に議員としての資質があるかどうか、試験をしてみてはどうかと思います。
言葉を知らない、理解してない、情報に疎い、数字に弱い、お金のために議員になる・・・・・・・
そんな人が薄っぺらな理想や正義をかざして親戚の多さや、知人の多さだけで議員に当選してしまっても津和野町の役に立つはずがありません。
まずは高校入試程度の問題や地方行政についての論文ぐらいはできてあたりまえではないでしょうか。
もう議論のできない偽員(議員)はいらないっ!!仲良しグループの議会もいらないっ!!・・・・と感じているのは私だけ???
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一町民 5
at 2009-12-04 20:09
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町民30代様、私も同意見です。 しかし言われるような試験を実施するとして合格点は? 今の議員に当てはめると20点台になりそうですね。 残念ながら。 来年の町議員選挙に出る人にも期待が持てそうにありません。 残念なことです。
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漂流民
at 2009-12-05 10:51
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よく言われるように、学芸会、八百長の議会には何にも期待できない。そのうえ、優柔不断の町長を選んだ。政権も変わって、従来の手法は通用しなくなった。よほど卓越したアイデアを出し続けないと、このままでは先細りになる。目立たないように借金を重ねるだけだが、チェックする機関が先の学芸会、八百長の議会だからどうにもならない。議員立候補者の共通一次試験の必要性は強く感じる。