2009年 08月 07日
松浦候補の表明遅れる |
松浦氏の出馬表明なぜ遅れる?
永吉義夫氏は出馬表明!
大方の予想どおり、松浦現副町長が先月末日をもって辞職した。そして、8月3日に町長選への出馬表明を行うと噂されていた。
既に事務所は澄川時計店前の空き店舗(森)を確保している。後は正式な出馬表明と事務所開きを行うばかりになっていたのだが、未だに出馬表明も事務所開きも行われていない。出馬は確実視されているのに何故行われないのか。
その背後の事情を探ってみた。
後援会の役員構成の不調
松浦後援の会長就任が濃厚と見られていた後山議長、幹事長に名前の挙がっていた河田議員が、揃って就任を固辞した、という。
その理由だが、総選挙が18日告示、30日投開票と決まったことが大きい。後山議長と河田議員は共に自民党員で竹下支持。
ところが、松浦前副町長は、自民党とは長年の反対勢力である自治労傘下の職員組合のトップまで務めており、当然自民党歴はないし、自民党員でもない。
その一方で、津和野町長選挙には他に自民党から、津和野で永吉義夫氏と日原で下森博之氏が出馬を表明している。
竹下陣営は、それでなくとも地元候補の亀井陣営に押し切られ不利な戦いを余儀されている。その最中に、自民党の役員でもある議長らが、永吉、下森両氏のいずれか自民党員候補を支持するのなら筋も立つ。しかし、「革新系候補の後援会長に就任するとは不見識も甚だしい」というのが自民党島根県本部の見解で、自民党の御大「青木幹夫先生」から叱咤された、という情報もある。
節操のないそれぞれの思惑
これで、松浦支持者らは混乱してきた。中村県議らはいち早く下森候補支持に回り、6日の下森候補の決起集会に参席しエールを送る予定だと聞く。
しかし、松浦支持とはいいながら、松浦氏の政治信条、人柄を評価しての支持ではない。中島時代と同じ利権構造が温存できると踏んで集まった連中で、元々本人らにも確たる政治信条はない。単に、津和野と日原の有権者数を比較して、松浦有利と見たから松浦氏に乗ったのだが、自民党本部からお叱りを受けた。
これに予期せぬ永吉氏の出馬表明で、津和野が二分されれば日原が有利となる。永吉氏への出馬回避の働きかけも失敗に終わった後は、勝てぬ戦に加担して、敵をつくるのは得策ではないと見て、ピタリと動きを止めてしまった。
これは土建屋も同じで、総選挙の後は間違いなく自民党は野に下っている。既に自民党に絶縁状を叩きつけた亀井先生は、まぎれもなく与党の一員だ。元来、欲得でしか動かない連中が、半端な立場の松浦氏を支援することで、政権交代後の自分にどのような見返りがあるのか見当がつかなくなったようだ。
こうなれば土建屋の反転は早い。動いて敵をつくるより、じっとしていて勝ち馬に乗る方が得策だ。
松浦氏は梯子を外されたのか?
先の「鹿足郡建設業協会の設立総会」は何であったのか。3次会まで付き合い、接待し懇親を深め、同協会の支持は得られたと7月末で副町長を辞職したものの、出馬表明は30日の総選挙が終わるまでお預けなのか。
それでは出遅れは確実だ。今までのように一対一ならともかく今回は4人が乱立、多数激戦模様の中で9月からスタートではいくら松浦氏が「やり手」でも届くまい。
さらに、竹下氏が敗れれば、後山議長と河田議員は共に自民党から責任を問われることになりそうだが、それでも松浦氏の支援を継続するだろうか。町の将来より我が身が可愛い連中が、松浦支持で奔走するとは考えにくい。
松浦氏の事実上の出身母体はどうか。自治労は落ち目の自民党とスクラムを組んで戦うより単独支持が望みだろうが、公務員がいくら頑張ってみたところで、その厚遇ぶりが知れ渡った今の時代は焼け石に水どころか逆効果が大きい。
松浦氏にとっては、何とも悪い時機の解散となったが、所詮自民党とは相性が良くないのだろう。
今度こそ最良の選択を!
さて、津和野町行財政の現況を見ると、行政面は情報の隠蔽工作で町民の町政参画をシャットアウト。塀の中の温床を堅持することのみ努力してきた町職員。財政面では病院の買取に乗じて町長らの個人債務保証まで公費で負担し、町民に多大な負債を負わせたツケが、今からジワジワ効いてくる。
それだけではなく、辞任直前に行った不急不要の散財も同様だ。町内の経済活動は低下の一途、税収も減り、人口減少に伴い交付税も減少しつつある。。(当の町長の退職金は一期で1700万円[副町長は750万円]をもらって、勲章を貰うのを待つだけの優雅な身分)
頼まれれば先のことは考えず、地元候補と言うだけで投票してきた町民の側にも責任の一端はある。今度こそ、旧自治体や地域の枠を超え、大きな視点で町の舵取り役を選ばなければ、津和野町の再生はおぼつかない。
永吉義夫氏は出馬表明!
大方の予想どおり、松浦現副町長が先月末日をもって辞職した。そして、8月3日に町長選への出馬表明を行うと噂されていた。
既に事務所は澄川時計店前の空き店舗(森)を確保している。後は正式な出馬表明と事務所開きを行うばかりになっていたのだが、未だに出馬表明も事務所開きも行われていない。出馬は確実視されているのに何故行われないのか。
その背後の事情を探ってみた。
後援会の役員構成の不調
松浦後援の会長就任が濃厚と見られていた後山議長、幹事長に名前の挙がっていた河田議員が、揃って就任を固辞した、という。
その理由だが、総選挙が18日告示、30日投開票と決まったことが大きい。後山議長と河田議員は共に自民党員で竹下支持。
ところが、松浦前副町長は、自民党とは長年の反対勢力である自治労傘下の職員組合のトップまで務めており、当然自民党歴はないし、自民党員でもない。
その一方で、津和野町長選挙には他に自民党から、津和野で永吉義夫氏と日原で下森博之氏が出馬を表明している。
竹下陣営は、それでなくとも地元候補の亀井陣営に押し切られ不利な戦いを余儀されている。その最中に、自民党の役員でもある議長らが、永吉、下森両氏のいずれか自民党員候補を支持するのなら筋も立つ。しかし、「革新系候補の後援会長に就任するとは不見識も甚だしい」というのが自民党島根県本部の見解で、自民党の御大「青木幹夫先生」から叱咤された、という情報もある。
節操のないそれぞれの思惑
これで、松浦支持者らは混乱してきた。中村県議らはいち早く下森候補支持に回り、6日の下森候補の決起集会に参席しエールを送る予定だと聞く。
しかし、松浦支持とはいいながら、松浦氏の政治信条、人柄を評価しての支持ではない。中島時代と同じ利権構造が温存できると踏んで集まった連中で、元々本人らにも確たる政治信条はない。単に、津和野と日原の有権者数を比較して、松浦有利と見たから松浦氏に乗ったのだが、自民党本部からお叱りを受けた。
これに予期せぬ永吉氏の出馬表明で、津和野が二分されれば日原が有利となる。永吉氏への出馬回避の働きかけも失敗に終わった後は、勝てぬ戦に加担して、敵をつくるのは得策ではないと見て、ピタリと動きを止めてしまった。
これは土建屋も同じで、総選挙の後は間違いなく自民党は野に下っている。既に自民党に絶縁状を叩きつけた亀井先生は、まぎれもなく与党の一員だ。元来、欲得でしか動かない連中が、半端な立場の松浦氏を支援することで、政権交代後の自分にどのような見返りがあるのか見当がつかなくなったようだ。
こうなれば土建屋の反転は早い。動いて敵をつくるより、じっとしていて勝ち馬に乗る方が得策だ。
松浦氏は梯子を外されたのか?
先の「鹿足郡建設業協会の設立総会」は何であったのか。3次会まで付き合い、接待し懇親を深め、同協会の支持は得られたと7月末で副町長を辞職したものの、出馬表明は30日の総選挙が終わるまでお預けなのか。
それでは出遅れは確実だ。今までのように一対一ならともかく今回は4人が乱立、多数激戦模様の中で9月からスタートではいくら松浦氏が「やり手」でも届くまい。
さらに、竹下氏が敗れれば、後山議長と河田議員は共に自民党から責任を問われることになりそうだが、それでも松浦氏の支援を継続するだろうか。町の将来より我が身が可愛い連中が、松浦支持で奔走するとは考えにくい。
松浦氏の事実上の出身母体はどうか。自治労は落ち目の自民党とスクラムを組んで戦うより単独支持が望みだろうが、公務員がいくら頑張ってみたところで、その厚遇ぶりが知れ渡った今の時代は焼け石に水どころか逆効果が大きい。
松浦氏にとっては、何とも悪い時機の解散となったが、所詮自民党とは相性が良くないのだろう。
今度こそ最良の選択を!
さて、津和野町行財政の現況を見ると、行政面は情報の隠蔽工作で町民の町政参画をシャットアウト。塀の中の温床を堅持することのみ努力してきた町職員。財政面では病院の買取に乗じて町長らの個人債務保証まで公費で負担し、町民に多大な負債を負わせたツケが、今からジワジワ効いてくる。
それだけではなく、辞任直前に行った不急不要の散財も同様だ。町内の経済活動は低下の一途、税収も減り、人口減少に伴い交付税も減少しつつある。。(当の町長の退職金は一期で1700万円[副町長は750万円]をもらって、勲章を貰うのを待つだけの優雅な身分)
頼まれれば先のことは考えず、地元候補と言うだけで投票してきた町民の側にも責任の一端はある。今度こそ、旧自治体や地域の枠を超え、大きな視点で町の舵取り役を選ばなければ、津和野町の再生はおぼつかない。
by nakayama-yutaka
| 2009-08-07 01:15
| 津和野町政
|
Comments(1)