2009年 05月 30日
観光を考える |
観光客2題
観光とは、光を観ることである。光とは郷土に誇りを持ち暮らす人々の生き様を観ることである。
福沢諭吉は「観光とは、光を観る事である」と言った。由布院町の町長は、旅館の後継者20人を45日間ヨーロッパ視察に行かせた。旅費は町長が個人補償して銀行から借りた。帰ってきた後継者たちに視察レポートを書かせ、10年後の町づくりのプランニングをさせた。ほぼ、その通りに町づくりを施行し、現在は日本一の観光立市をつくり上げた。
27日津和野は晴天の好日であった。街を散策すると京都から来た観光客が源氏巻の老舗「竹風軒」の店先で酒蔵「華泉酒造」の店頭をスケッチしている。
京都から来た、明日は広島の西条市に行くという。「老舗の酒蔵をスケッチしながら観光している。そうすれば心が癒され、その土地の風土・人柄が感じられる。」という。
「何も作られた名所旧跡を徘徊したところで得るものは無い。金に飽かして集めたサントリーの美術館を見ているようだ。」ともいう。
確かに津和野町との観光提携都市「萩市」の名所旧跡の半分以上は近年になって作られたものが多い。第一人者は「松陰神社」であろう。
ここは終戦になって東京の「松陰神社」を時の県会議員で商工会々頭の「厚東氏」が分祀し建立したものである。自己所有の神社で後に宗教法人化した。
東萩駅前の大橋は元は木橋で同氏自己所有のものであったが、水害で流出したため山口県にこれをコンクリートで新設させ、市に寄付したものである。昔は武家屋敷がある川内地区は水害対策で対岸より1メートル程度高く設岸されていた為に川外の地価は川内の半値程度であった。川外に厚東氏は自己所有の土地を多く持っていたため橋を県に新築させ、川外の川岸を高くし水害から守ったが、最終目的は自己所有の土地価格を高騰させることが目的であった。
本筋から逸れるが、厚東氏は「市長になったら萩城を復建し萩市に寄付する」と公約し、市長選に再々出馬したが市民は見向きもしなかった。伊藤博文候旧宅も移転されたもので、本物といえば萩城跡と桂小五郎旧宅ぐらいだろう。最近は県立萩美術館・浦上記念館を建立したが観覧者もジリ貧、浦上氏から寄付された浮世絵も偽絵があるとの噂もある。
もう1題は姫路から来た鮎釣りのプロ。「話につられて姫路から来た、まったく釣れない午前中で10匹程度だ」という。近くに地元の釣人が居たので聞いてみると、「プロでもあの程度だから私たちは3~4匹程度ですよ」と竿をたたんで見物していた。そのうち地元の者は一人二人と居なくなった。
観光をメインとして街づくりをしてきた津和野町であるが箱物を造り道路を整備し、高価で訳の分からぬ美術品を買い求め整備したが観光客は激変、商工会の入客データーをみても目を引くのは正月の稲荷参りの参拝客。参拝客や釣り人までを観光客に数えても年間50万人程度か。
広域合併を自論とし経済通の逸材を観光課に左遷、労組のエキスパートを副町長に、病身の町長を多選多薦で続投、経済振興交付金3億6千万円は病院の支援金と借金の返済が全て。これでは経済振興も観光の光も観えない。
観光とは、光を観ることである。光とは郷土に誇りを持ち暮らす人々の生き様を観ることである。
福沢諭吉は「観光とは、光を観る事である」と言った。由布院町の町長は、旅館の後継者20人を45日間ヨーロッパ視察に行かせた。旅費は町長が個人補償して銀行から借りた。帰ってきた後継者たちに視察レポートを書かせ、10年後の町づくりのプランニングをさせた。ほぼ、その通りに町づくりを施行し、現在は日本一の観光立市をつくり上げた。
27日津和野は晴天の好日であった。街を散策すると京都から来た観光客が源氏巻の老舗「竹風軒」の店先で酒蔵「華泉酒造」の店頭をスケッチしている。
京都から来た、明日は広島の西条市に行くという。「老舗の酒蔵をスケッチしながら観光している。そうすれば心が癒され、その土地の風土・人柄が感じられる。」という。
「何も作られた名所旧跡を徘徊したところで得るものは無い。金に飽かして集めたサントリーの美術館を見ているようだ。」ともいう。
確かに津和野町との観光提携都市「萩市」の名所旧跡の半分以上は近年になって作られたものが多い。第一人者は「松陰神社」であろう。
ここは終戦になって東京の「松陰神社」を時の県会議員で商工会々頭の「厚東氏」が分祀し建立したものである。自己所有の神社で後に宗教法人化した。
東萩駅前の大橋は元は木橋で同氏自己所有のものであったが、水害で流出したため山口県にこれをコンクリートで新設させ、市に寄付したものである。昔は武家屋敷がある川内地区は水害対策で対岸より1メートル程度高く設岸されていた為に川外の地価は川内の半値程度であった。川外に厚東氏は自己所有の土地を多く持っていたため橋を県に新築させ、川外の川岸を高くし水害から守ったが、最終目的は自己所有の土地価格を高騰させることが目的であった。
本筋から逸れるが、厚東氏は「市長になったら萩城を復建し萩市に寄付する」と公約し、市長選に再々出馬したが市民は見向きもしなかった。伊藤博文候旧宅も移転されたもので、本物といえば萩城跡と桂小五郎旧宅ぐらいだろう。最近は県立萩美術館・浦上記念館を建立したが観覧者もジリ貧、浦上氏から寄付された浮世絵も偽絵があるとの噂もある。
もう1題は姫路から来た鮎釣りのプロ。「話につられて姫路から来た、まったく釣れない午前中で10匹程度だ」という。近くに地元の釣人が居たので聞いてみると、「プロでもあの程度だから私たちは3~4匹程度ですよ」と竿をたたんで見物していた。そのうち地元の者は一人二人と居なくなった。
観光をメインとして街づくりをしてきた津和野町であるが箱物を造り道路を整備し、高価で訳の分からぬ美術品を買い求め整備したが観光客は激変、商工会の入客データーをみても目を引くのは正月の稲荷参りの参拝客。参拝客や釣り人までを観光客に数えても年間50万人程度か。
広域合併を自論とし経済通の逸材を観光課に左遷、労組のエキスパートを副町長に、病身の町長を多選多薦で続投、経済振興交付金3億6千万円は病院の支援金と借金の返済が全て。これでは経済振興も観光の光も観えない。
by nakayama-yutaka
| 2009-05-30 01:33
| 津和野町政
|
Comments(3)
Commented
at 2009-05-30 23:36
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
at 2009-06-01 15:11
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
nakayama-yutaka at 2009-06-02 11:08
町民さんへ
スケッチに来た老人も津和野町の旅館に宿泊したのですから一応は観光客と言えるのではないでしょうか。津和野に来るのに何かの目的を持ってくるのでしょう。写真をとる人でもスポーツを楽しむものも宿泊すれば観光客として見るべきでしょう。
しかし、島根県が発表した津和野の観光客入り込み人数を見ると正月の稲荷参拝客が100万人計上してあります。何処までを観光客として数えるのか疑問があります。現状の資料では萩市より観光客が多いことになっています。宿泊客数と名所や美術館の客が重複して数えていると萩市議会では指摘されたこともありましたが、その萩市より多いとは考えられません。こんな資料で津和野町の観光予算を試算されては大変です。
町民さんの想いは理解できます。
スケッチに来た老人も津和野町の旅館に宿泊したのですから一応は観光客と言えるのではないでしょうか。津和野に来るのに何かの目的を持ってくるのでしょう。写真をとる人でもスポーツを楽しむものも宿泊すれば観光客として見るべきでしょう。
しかし、島根県が発表した津和野の観光客入り込み人数を見ると正月の稲荷参拝客が100万人計上してあります。何処までを観光客として数えるのか疑問があります。現状の資料では萩市より観光客が多いことになっています。宿泊客数と名所や美術館の客が重複して数えていると萩市議会では指摘されたこともありましたが、その萩市より多いとは考えられません。こんな資料で津和野町の観光予算を試算されては大変です。
町民さんの想いは理解できます。
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